時代の、

「三歩先を行く人」は「狂人」と呼ばれ、

「二歩先を行く人」は「先見の明がある」と言われ、

「一歩先を行く人」が成功すると云われます。


聡明な「狂人」は

「一歩」遅くし、「先見の明」を受け取り、

「二歩」遅くして、成功をかちとるのは可能であります。


「一歩」も自分の力で進めないのは「凡人」と言っていいでしょう。


時代において人々はいつも遅く反応していくものであります。



時代がもっと早く、

「二歩」進めば、「先見の明」のある「時代」が訪れ、

「三歩」進めば、「狂人」と呼ばれた賢人が


穏やかな安堵感に包まれ、更に活躍できるはずです。


こう見てみれば「時代」は気付かぬ内に、


理不尽なことをよく行っています。



そして、

「狂人」と呼ばれても先を行く「人」は


決して誰一人「孤独」ではありません。



世界中の偉大なる先代たちが、


その「人」の「魂」を見守ってくれているのです。


ですからそこには大いなる「安堵感」があります。



「うわべ」だけの付き合い、心の通じない関係の「人々」に


多く囲まれ「物質文明」の中で生きていたところで、


何も安堵感などは得られるものではありません。


人生で大切なものは何か。生きるとは何か。

「時代」とそこに生きる人々たちの誰もが


もっと関心を持っていい、と思うのです。