伝統文化を活かし生きる者として、
思うことが、近々たくさんあります。
それは「長い歴史」の中の自分を見れば
「小さな存在」だということも判っています。
だからこそ「自分の人生」を豊かにするべく、
「大きな存在」を目指し、
日々一分一秒を無駄にしないように頑張るのです。
しかし、「伝統文化」の「名」を借りながら、
そして身勝手に語り、でっちあげと自己流の
「その場しのぎ人間達」をたくさんみかけるようになりました。
「本人の自己満足」のみで生きていくのなら、
それはそれでいいと思います。
誰かを巻き込むのなら、その「責任」と「自覚」をしろ、
と言いたくなる時があります。
「伝統」は強い、どんなことが身に起ころうとも乗り越えられる、
だから「伝統:伝えられ、統べたもの」なのである。
世に多いのは、「へ理屈」に長けた器用な
「芸達者」なお調子者が多いと気付きます。
選挙が近く、議員の多くは身の程知らずに、
他政党や個人を批判し「自らの」批判をそらす
「テクニック」のみに秀でているのを感じる。
「お前は一人で何ができるのか」という疑問も生まれます。
「無知」な人はその時点で「鵜呑み」にされるのかも知れません・・
伝統に生きる者ならば、
一貫した揺らぎ無い「哲学」を持ち日々「実践」し、
困難に耐えてでも「不動心」のある生き様を見せるものです。
「功夫」に理屈は要らない、
やれば良い、見せれば良い、語るが良い。
それを評価するのは「自分以外の人物」においてである。
故にそれは「正しい」
誰であっても、何であっても、
「正しくない」ものは、自然の淘汰に任せられるのである。