私は時々考えますが、

なぜ、「重い」テーマにふれるか、ということです。


答えは簡単。

「軽い」テーマなら、

今やどこでもありあまっているからです。


「人生」「愛」「夢」「希望」

これにふれたくないのではなく、

深く「考えた」ことがないから、


「返答」に困るから避けているように見える時が、よく感じます。


そう、これは小中高と学校の先生は教えません。


最近では家族でも感じないのかも知れません。

気付く人も少ないのでしょう・・


よくある世間では、

その場しのぎの面白おかしさで、「沈黙」を避けて

無意味に はしゃいでいるようにみえます。

「沈黙」

ここが大事なのです。


誰もが、一人孤独になり、

静かに沈む想いに触れ「黙り」「考える」時間。

「軽い」だけの人間は、絶えられず辛くなるものです。

ここで現代人の多くは「逃げ」を選ぶ人が多いようです。


「逃げ」を選ぶ人は、ずっとその選択をするのかも知れません。

私は、小さな子供の頃から「考えて」きて育ちました。

先生に言われたからでなく、学校のテストに出るからでなく、

出世に関係するからではありません。

自分の、

「人生」「愛」「夢」「希望」

を想うからでした。

軽くなる人間が多いから、結果として罪を犯す。


だから、

人生の「重い」テーマにふれたい、のです。