今頃の時期は、あるところではとても辛い時期の訪れがあるかも知れません。


「うつ病」は心の風邪ともいい、


体:肉体だけでなく心:精神にも免疫が下がるとなりやすいといいます。



人はそれぞれに生活様式も物事の価値観も異なりますから、


辛く苦しい状況は、それぞれそう見えなくとも、気付かずとも、


感じる人は、感じてしまうのだと思います。



様々な悩み・痛み・苦しみから救われたい、と思うものです。


そして、


そのうち「きっと、誰かが助けてくれるかも・・」あるいは


「どこかで自分の事を解ってくれる人がいる・・」と望むのも、

とてもよく理解できます。



ですが、しかし


人間の痛みは究極の所、「自分自身」しか解らないのも現実であり、


自分以外の人は誰であろうとも、「察すること」はできますが、


体感することも、なり変わることもできないということを、


先ず知っておいてから思考のスタートをした方がいいと思うことがあります。


(後で不用意な失望感に見舞われないようにするために)



それに「忍耐できる人」は、「それを」本能的に、


あるいは経験で知覚しているのだと思います。


だからこそ人に、依存しないで頑張ってしまいます。


頑張ることを知っているが故に「自分力」を信じる、ことになります。




その力も大きく、素晴らしいのですが、


「世」はとても大勢の人間がいて、


その数は数えられないほど存在している事実があります。



時に「自分力」も及ばない時期があります。


その時は、そういう方はきっとこらえることでしょう。


しかし物事には、許容量があります。



こらえられなくなる時がきた時にどうするかで、


その後が決まると思うのです。



以前私は、こらえてきたことが報われない悔しさから、


あるいは「理不尽」に思う物事を変えられず、


かえって振り回された屈辱に


頭の中が覆われてしまい、


とても懊悩にさいなまれた経験があります。



その時を思うと、


「自分の命」は軽いのか、とか考えたりすることもありました・・



そんな様々な辛く、苦しい自分の経験の中で


「己れ」を強くする方法や思考を、


鍛えに鍛えました。



これは、私の個人的な発想であり、アドバイスですが、


「理知」的に考え、「責任」の所在を認識し、


「直感:本能」に任せた行動をする。



これが一番であり、ここからくる優先順位は間違わないように思うのです。



あとは、勇気を出して行動に移すだけです。


ここで、大切なことは「今」起こす勇気が自分にとっても意味があり、


その周りにとっても意味があることならば、


やってみることです。



ここで「やれなかったりした時」「あきらめた時」


自分を放棄してしまうのかも知れません。



その時「うつ病」の「病原体」が体の内側で一気に大きくなるように思うのです。



自分も今までに様々な困難にぶつかりましたが、


「やってみたこと」は結果的にいい成果をあげています。



このあたりでは、精神的訓練の範疇ですが、


行きつめていけば、精神論だけでは限界がありますし、


体を動かすだけや、


気分を変えるパフォーマンスを見たり聞いたりしてもダメだと思います。


本質を蘇生することが大事だと思います。



元々私は武術が専門だったのですが、


経験的に武術や太極拳の技だけではまだ訓練が足りませんでした。



導引や行気・坐忘が大事です。



「観想法」「存想法」という大らかなメディテーションによる、


パワーアップができると更に免疫力を高度な場所へ


引き上げると感覚は変わります。



試練は、痛みと辛さ・苦しみを伴うチャンスでもあり、


知覚能力を高める、いいきっかけになります。



それに、


自分以外の人々を、大切にするこころがいつもあれば、


自分以外の人々は、自分ににとって、自然に


大切な心から信頼できる味方になっています。



もしここで、していなかったのなら、


これを機に


心を開く、きっかけにしましょう。


部屋の窓を開けるのと同じように・・



自分の心のドアを開けること。


心地よい風も、人のやさしさも、


やがてそれぞれが自然に入ってくるようになると思います。


そうすれば、きっと


いずれ爽やかな風と共にいる「自分」が見つかるはずでしょう。