人生を一所懸命に生きていれば、
世の法則においては、
「ビシッ」としておきたい事があるものです。
そうでなければ、
ただ「だらだら」と乱れた輩が牛耳った「世の中」になってしまいます。
だからこそ、正しく「秩序」を守らねばなりません。
ここ数年、この国を傾けさせた、
国家公務員とか、官僚社会の公的機関の一部の連中は、
「公:おおやけ」という「字」 を当てておきながら、不自然な
根回しや、日々持ちつ持たれつの相互利用のために図られる不透明な密室会議が行われ、
真剣さの薄い空気が、今までの彼らにとっては普通の世界。
「自分自身」も見えない、「やっていること」も判らない、
「気付き」もありません。
思うと、
気の毒な感覚の持ち主の人間像が浮かび上がります。
多感で大事な青少年の発育時代において、
社会的ポジションの「出世」だけを夢見て過ごし、
勉強机の上だけが知っている世界、
試験に合格するためには自分以外は「敵」
文字の並んだテキスト(教科書)を覚えて、
記帳「ノート」をして 「暗記」して、
時代によっては政府の思想操作も含んだ理論を「正論」とし、
「大脳」にインプットし続けて暗号解読能力には優れ、
獲得した「高学歴」を武器に己の出世の為ならば、何でも行った日常、
その結果は、
不正をしてでも「世を渡ろう」とする、「無知」な連中になりました。
この人間というより「歪んだ人格」を持つ「人間的感覚を有する生物」は、
「自己都合」「身勝手」優先を、広めた元凶です。
世間が一時模範としようとした中で、
この人々は「公」の力を利用して「私腹」を肥やすことばかりをしたからこそ、
後に「民間企業の会社」がやけっぱちになってでも、なりふり構わずに、
「私営」の立場からひたすらに大儲けを企むような土壌ができました。
世間は考えるほど複雑ではない、と思います。
「フェア」じゃないから「世」は悪くなります。
「アンフェア」な連中が「世」を悪くしたともいえるでしょう。
公に正しく (公正)
公に平等に (公平)
公に明るく (公明)
正しく大きく (正大)
これを「公明正大」といいますが、
よくよく見渡せば、意外とやっていないところが多いのが普通だったりしています。
これからの時代は解りやすく原点に還り「素直」で「実行力」のある人達が築く時代です。
古き悪しき風潮は失くし、新しき良いものを高めていきたいものです。