1週間にスポーツクラブ6ヶ所をレッスンと
インストラクター養成の指導に周り、
ある企業での太極拳教室、屋外太極拳教室、学校の部活指導、
そして横浜武術院の運営責任者兼指導責任者をしています。
思えば、なぜこんなに作業が増えたのか考えてみたところ、
「やりましょう!」と積極的な姿勢を持つ人が少なく、
単に世の中には「責任」を持ちたくない人の方が多いだけだった、
と気付きました。
「やらなければならない」「逃げない」「細かいことに執着しない」
引き受けた以上は「達成するまでやる」
つまりは「責任」を果たす。
全てはこの連続です。
日本人はよく、反射的にすぐ「無理」とか、「できない」といいます。
日本以外の国で「I can not」と簡単に言えば、
この人は「無能」なのだと相手が思うだけです。
自己責任能力の弱さから、あるいは意志の弱さから、
出てくるのでしょうけれども、
まだ社会に出たての若い子ならともかく、
社会において、多くの人々に対して接するのならば、
自分の力に確信を持ってから出てこなければならない、と感じます。
(近頃は、しっかりした若い人も多く、
とにかく問題が多いのはオジサン連中)
私は話す時に「~的:のような」という言葉は、
相手の為には使うことがありますが、
自分の言葉ではあまり使わないようにしています。
曖昧なことばは、人の為にはいいことばですが、
自分に使えばただの「逃げ」になるだけです。
自発的とか効果的とか、
あるいは民主的だなんて「~的」を使ったものはあてになりません。
あるいはそういうことばを連発する人には
しっかりとした人は少ないように思います。
「効果」が有る、「自発」の力を使う、「責任」を持つ、
とはっきりというべきです。
それができないのに、
願望では出世とか名声とか富を求めるのは誤ちです。
ひたすらに過去に辛い思いや踏ん張って頑張って高めてきた、
「自分の能力」は「宝」です。
「責任」を持つ人の習慣は多く共通しています。
日々五感をフル稼働して、アクションは早く誠実で、
第六感まで活かして未来予測能力と行動力がセットで備え、
常に、無意識の中でもはたらいています。
この1~2年は大きな成果が上がったのと、
そうでないのと分かれましたが、
単に「責任」を果たしたか、そうでないか、
だけのようにも思います。
「習慣」が「その人」のすべてを作ります。
いい習慣は大事です。
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