「鈍感力」これは作家渡辺淳一さんの新しい作品のタイトルです。
それが、最近内閣支持率低迷に悩む「安倍晋三首相」へ「小泉純一郎前首相」からの励ましのコメントに、
「一喜一憂してはいけない、鈍感力が必要だ」
とあって、少し話題になりました。
確かに、
純粋に真面目な努力家であれば、
どちらかといえば「敏感力」が高く、自らにも厳しくあるものです。
そして物事の本質や人としての生き方への正しさに日々対応し、
その行動には機敏でもあります。
しかし、よくよく振り返ってみると世間では感覚の「鈍い」人の方がはるかに多く、
それらに「敏感力」を使いすぎると自分の能力が疲弊してしまいます。
思えば自分も、あまり「気にする」のを意識的にやめて所謂「鈍感力」を磨いたようにも感じます。
究極的に「人」は、
人それぞれの「自分の認識」の中に判断力・分析する力があって、
それが行動や言動、立ち居振る舞いにあらわれています。
ですから、人によっては「敏感力」のアクセルを少しゆるめて
「鈍感」になる「力」である「鈍感力」を活用するのもいいことだと思います。
決して「鈍い」のでなく、
意識的に「鈍い人」や「気付いていない人」の感覚のペースに合わせる「適応能力」ともいえます。
「敏感力」を日々高めつつ、「鈍感力」で時々リラックス。
これが、これからのライフワークに大切なように思うのです。