かつて、私達は「士農工商」と学びました。


思えば、これは階級ランキングの分類のように教えられましたが、


これからは、このような考え方では、


うまくいかないように思えます。


チャンスは、全てに 公平かつ、平等であり、


仕事の性質での分類はできません。



先ずは、「商」


これがあるので生活の全てが成りたち、欲しいものが手に入ります。


商人たちは、市場が求める「品」を用意し、提供するのです。


それにより、相場が決まり、流通が興ります。



次に「工」


ありとあらゆる「モノ」を作り出す人たちです。


道具や工具、そして それをも作り出す存在。


進化の担い手。




「農」


農家がいてはじめて、「食」が成り立ちます。


第一次産業、これがなくて人は生きていくことができません。


人間が、大自然の中に深く入り込み、


共存共栄の原点を知る方々たちです。




そして「士」


「士」の文字の下に、「心」を入れれば、


「志」



「士」=「武士:侍」と教えられましたが、


「士」=「志」だと思うのです。


商人でも工人、農家、全て「志篤き人」は


「士」だと思うのです。


たとえ「武士」であろうとも「心無き人たち」ならば、「士」とはいえません。



現在は、多種多様な生き方、社会の国際化など、さまざまです。


歴史に学ぶことは重要ですが、


古くからあるものに固執し過ぎていては、未来を想像できません。



ありとあらゆる社会の変化にも対応してこそ、


「士」の在り方だと感じます。


これも、新しい21世紀の「士農工商」のイノベーションです。