昨年は、戦後60年という節目の年であり、
世界中で、様々な清算をした年のようでした。
それに、今年 2006年は、
アメリカでは、ポスト資本主義への模索期間でもあり、
中国では、共産主義から資本主義への、
宣言なき、無言での完全な移行の達成。
そして、日本国内では、
日本的共産・社会主義の終焉と、
「拝金主義者たち」の退場処分を図る、
ゆっくりと進む、日本的資本主義の変遷でもありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
これからの時代は成熟した、
ヒト・モノ・カネ の良質な存在に価値をおくようになります。
仕事より、生き方重視の心豊かな「ゆとりある人生」
「夜」に、全てを忘れるような過ごし方より、
「朝」の、きれいな空気を吸って、
鳥の自由に羽ばたく姿に共鳴する過ごし方。
すべては、量より質の時代。
今年は、その延長の中で、
思想、哲学が、
新しい21世紀型の感覚の動き出した一年のように思えます。
どちらかと、いえば
「全体思想主義」から、「個性」を大事にする「社会」に移行しました。
「個性」を守ろうという思いが、
この最近の「いじめ撲滅運動」にも結びついていると感じます。
以前は、数の論理を用いていくために、派閥社会を形成しがちでした。
その全体を、揃えていくには「個性」を認めないものです。
古く、ユダヤの知恵の中に
「ロバは、たくさんいたところでも、所詮ロバである」
「馬になる事はできない」
という言葉があります。
たくさん集まっても、成果を上げられなければ、
集まった意味はありません。
今後、更に「必要な仕事」「不必要な仕事」がはっきりとしていくことでしょう。
本来、役割を果たさないものから、自然淘汰は起こるものです。
木々を見れば、
散っていく「葉」のように、落ちて「土」に還らねばなりません。
そして、また伸びていく「芽」のように、
大自然に従う、そんな仕事が一番「こころとからだ」にも良く、
充実した生き方だと感じます。
茶化して誤魔化していくより、
真剣に、一途に一生懸命。
たとえ、それは、見た目が不器用であっても、いいのです。
「美学」に基づく「生き方」が尊いのです。