学びて思わざれば、則ち 罔し 


思いて 学ばざれば、則ち 殆うし



という格言があります。


↓引用ですが、

http://www3.csf.ne.jp/~mrkajp8c/onkochishin/gakuji.html



どんなに勉強しても、自分の頭で考えて、実践し、


行動に移さなければ「生きた知恵」にはなりません。



「文武両道」という、東洋の知恵は、多くの人々は知っています。


「武」の技を追求するだけでは、必ず限界があるものです。



「文」が、心を豊かにし、生き方を充実させてくれるものです。


「文」とは、読み、聞き、話し、見て、感じて学び、


日々の生活に役立てる工夫です。



「学問」や「勉強」というと多くは、学生時代の受験テクニックだと連想します。


人生は「学校」を出てからが長く、本当の「学問」は生涯続けるものです。




世間の「識者」の多くは、「批判テクニシャン」が多いのが分かります。


「批判」は「する人」「される人」両方に、様々な有益な気付きを促し、


より良い方向付けに役立つものです。



「批判」と同時に、求められるのは、「する人」の代替案の提示です。


そして自分自身の意見での妥協の無い「対話」の応酬の連続が、


より「物事の本質」の実態に迫ることができます。



これらをせずに、


起こる「批判」は、悪意のある、ただの「あてつけ」や「愚痴」に聞こえるものです。


日々、大切なのは、見て、聴いて、互いに語り合う「コミュニケーション」が大事です。


一方通行では、何も生まれません。



私達、日本人は、漢字を使い、ひらがな、カタカナ、アルファべット、を扱いこなします。


つまり、他の東洋の国の中で、例がないほどの、豊かな「ことば」活かす事ができます。


「東洋の知恵」の結集を目指すべく努力してきたのが、「美しき国」「日本人」の素晴らしい誇りだと思います。


「美しき国、日本」


これらは、わが国の先代から続く、「美学」と「哲学」が築いてきたのです。