昨日は、港北区綱島地区の体育館で横浜武術院での中国武術(健身気功 五禽戯 少林金剛拳 棍術 対練)スキルアップセミナー講習研究会でした。
現在の日曜日では、隔週で鶴見スポーツセンターでもセミナーで全員で、伝統 吐納気功 導引術を行い、健身気功五禽戯(太極拳・剣)と、中国武術項目のスキルアップセミナー講習研究会を行っていて、どちらも自由に参加者を募集中です。
コロナ期間を無事に乗り越えて、東京国際武術節組織委員会に入り、大会審判員を担当し、指導した方々を選手として自由参加型で送り出しています。
やはり、組織委員会にいて、多くは自身の組織に審判法に則った指導をしています。
私は昨年から、アンフェアに感じて、組織団体、個人を越えて、スキルアップセミナー講習研究会として昨年の武術節の大会後から始めました。
それを思い、どなたであってでも
「日本人のための日本人武術太極拳専門家の指導で 大会で入賞を目指せる」
それを開始しました。
大会審判員は「どのような視点で見ているか」「日本国内的ルールの減点法は知らないと損をする」「武術節の大会は 昨年から中国本土から専門指導者の下で学び来ている参加者が有利」
私は2007年に中国武術六段を取得し、国際武術審判員の資格を保有しています。
しかしながら日本国内では国際大会がなく、コロナ明けの2022年から大会開催が復帰出来た東京国際武術節組織委員会から声がかかり審判員を担当しました。
私は日本国内の全日本大会の1級審判員でしたが、1998年に初出場した国際大会から、国際大会に関心を持ち、2002年の上海国際武術博覧会から、海外の大会に意識を移しました。
そのおかげで、2007年に国際武術教練と中国武術六段の資格を取りました。
国際大会は、2015年のシンガポール国際大会が最期で、2016年は上海の名門学校 復旦大学武術協会で研修会を行い、2017年は、安徽省亳州市 伝統 華佗五禽戯協会で交流10周年イベントと研修を行い、2018年は安徽省武術隊を訪問し、2019年は3回 安徽省亳州市、復旦大学武術協会で龍身蛇形太極拳五行功法の研修、そして上海市非物質文化遺産認定を受け、龍身蛇形太極拳会館の開会式典のパーティーに招待を受けました。
そして3か月後、翌年の2020年1月に中国武漢市でコロナウィルスの大流行が起こり、世界中でロックダウンの社会環境になり、2023年まで続きました。
国際的に多くの方々は、メンタルヘルス的に落ち込む嵌めになりました。
日本と中国では「分断化:デカップリング」が起こり、2025年の今日でも続いています。
日本国内の中国武術事情は、先に国交のある台湾からの指導者が空手道関係者からの招きで訪れました。
養生(健康法)より、力、強さを求められていた時代です。
国交のない中国大陸は、47年前 1978年の日中友好平和条約締結後に、日中間でのはじめは太極拳交流から始まりました。
ですから、日本人の太極拳修練者で、一番長いキャリア24式太極拳オンリーでも、47年で私より皆さんは年上でも、キャリア差は4年です。
太極拳世界も、中華文化圏で「多種多様」な感覚で、雑誌上で多くの論議や論争が繰り広げられた時代でした。
1984年6月に大阪府立体育館で開催された当時は「第1回全日本太極拳・中国武術表演大会」という名称の大会で初出場しました、現在の私と同じ年で同じキャリアの人はもういません。
現在の「武術太極拳」という呼称は1986年の第3回大会で日本人式の造語での呼称として始めました。
初めて中国を訪れたのは40年前の1985年でした(後列一番左後ろ)
そして1986年以降は個人ビザが1か月降りるようになり、個人留学を重ねました。
2019年まで34年間の中国大陸を見続けて来ました。
1989年6月の天安門事件前の3月~4月初旬まで安徽省と上海に短期留学をしていて、北京から先輩が上海に来て「北京がまずいことになっている。いずれドンパチになっちゃうかな・・」と言っていました。
帰国後に、ニュース報道を見て、6月4日に天安門事件が起きて、留学生は翌日の朝に緊急帰国命令が出て、北京体育大学にいた先輩も上海復旦大学の同期仲間も臨時の飛行機で帰国出来ました。
同期仲間が前日の夜に電話で「緊急の飛行機は羽田に着くから、急いで迎えに行きました」
そこで、いろいろと情報を聞きました。
1990年は9月に北京アジア大会が開催され「WUSHU:中国武術 長拳 太極拳 南拳」初めて正式種目に入りました。
全日本大会で、上位3人だけしか出場出来なかったので、最高3位、総合ランキング7位で第1号の全日本強化選手でしたが、出場は適いませんでした。
(※総合3種目で1~3位の中で選抜されました)
しかしながら、悔しくて、北京アジア大会は、練習仲間の先輩と後輩の応援に大会会場へ行きました。
そして帰りには、湖北省武術体育運動学校 武術隊で1か月留学し、とても良い学びとトレーニングが出来ました。
※北京 中国武術研究院にて 地元の代表チームとの交流練習
水色のTシャツが私
1991年からは、お蔭様で全日本武術太極拳選手権大会で5種目出場し、すべての種目の中で、優勝:上位入賞を1997年の引退までにメダルと賞状、楯を頂きました。
とても良い思い出です。関東地方は東京だけでなく、神奈川、埼玉、千葉、茨城に毎年県大会のエキシビジョンや講習会の講師で招かれました。
今、神奈川 横浜に来たのも、一番いい環境と感じたからです。
そんなこんなで、私も1982年13歳から修養を始めて43年になります。
その前の日本剣道6年を合わせると49年の武芸人生です。
2012年に武芸人生30年を想い、自分自身で新しい「兵法剣術」を総編して、日本武道回帰をしました。
今、長き自身の人生での武芸、思想哲学を見つめ直し、今までにない融合した「新しい日本武芸感覚」を創出したいと長きコロナ期間に考え抜いて、今の我が街「金沢文庫~金沢八景」の1000年の「歴史ある海と緑の豊な街」を拠点として、多くの皆様に新時代の効能、効果の高く、誉れ高き「ユネスコ:国連科学文化教育機構認定 世界無形文化遺産認定を受けた太極拳文化」を古くも新しい日本式世界無形文化遺産 太極拳として広めて参ります。
私は、数少ない 中国武術 太極拳 気功の歴史を知る人間で、不自然的な偏り感覚は一切にありません。
時間は過ぎて、過ぎた時間は戻りません。
知らされていたことは、何か。
多くの関係者は、騙されていないか。
「太極拳は、重力と力学の研鑽」
そこに、導引気功が入り、中国王朝 明代に大成した「太極拳養生文化」
結果こそが、全て「本当に 心身の健全な感覚があるか、どうか」
過去は変えられない、日本国内の中国武術、太極拳、気功全般の事実を知る自分の立場として、
今は、中国的感覚を全面廃止して、日本式横浜スタイルを 金沢区、港南区、港北区(中国武術)鶴見区で、全面的な発展を目指しています。
心身が本当に元気で、未来に迷いなく、明るく楽しい仲間達との分け隔てない 全世代すべてに 素直な感覚での共同体活動。
宜しくお願い致します。
















