横浜さくらボクシングジムのブログ

横浜さくらボクシングジムのブログ

横浜さくらボクシングジム 会長 平野敏夫 によるブログです。
ジムでの出来事、ボクシングのこと、その他ジャンルを問わず綴っていきます。

人知れず咲く、サボテンの花は

困難な状況にも耐え忍び、愛や、感情を長続きさせる、力強さや、忍耐力を象徴する花言葉で、唯一ボクサーに似合う花。である。

これは、横浜さくらボクシングジムのサボテンの花達の物語である。」

 

会長は来客中で話し込んでいた。

ジユンは窓越しに会釈をして、下に降りた。下に降りた所で「ジユン、何か用があるんか」と、会長の大きな声が追いかけて来た。いえ、練習が終わったので帰ります、と言ってジムを出た。

 

ジュンのボクシング仲間にカナちゃんがいた。

女子ボクサーで名前は白井香苗で、皆んなからは、カナちゃんと呼ばれていた。

兵庫県の芦屋生まれの芦屋育ち、上京して田園調布に住み有名私大で学生生活を過ごした。

芦屋は、「小説芦屋夫人」で関西の高級住宅地として有名になり、田園調布は東横線沿線で「田園調布に家から建つのギャグ」で知られる様になった、共に高級住宅地である。

 

お嬢様ボクサーは、大学を卒業してからボクシングに目覚めた。

スポーツはテニスをやってたそうで、俊敏な動きは持ち合わせていたが

傍目に見てもボクサーと結びつかない風貌で、前例のない経歴の、お嬢さんボクサーである。 

 

本来、お嬢様として育てられ、卒業後は、お嬢様らしい日常がセットされて居たはずである。

 

ジュンは、

カナちゃんが座ってバンテージを巻いて居る姿を見て、「女らしくないな」と、呟いた。

そう言えば最近カナちゃんの所作が男っぽく雑になった気がする。

 

女性アスリートは、他と競い合う日々のトレーニングや試合などの競技会に、らしさが徐々に失せていく要因があると思われる。

カナも練習に熱が入ると、それはより顕著に現れた。

 

そんなある日ジムの仲間が良く利用する駅ビル、シエルの中にあるドトール・コーヒーで

お茶を飲みながら、カナちゃんは、最近実家の父が女性らしくしなさいとしつこく言うのよと、ジユンに打ち明けた。

 

彼女の話を他所らごととして聞ながら

それがカナちゃんかもしれない。 

カナちゃんのボクシングに挑む一生懸命な姿が、人の心を打つのであろう。

そんなカナちゃんがジュンは好きなのかもしれない。と密かに思っていた。

人知れず咲く、サボテンの花は

困難な状況にも耐え忍び、愛や、感情を長続きさせる、力強さや、忍耐力を象徴する花言葉で、唯一ボクサーに似合う花。である。

これは、横浜さくらボクシングジムのサボテンの花達の物語である。」

 

ジムの前を掃き掃除している会長がいた。

 

「会長、旅に出て来ます。」

幸太は、会長のそばまで行ってから言った。

「今度は何処だ。」

「はい、春を求めて南に向かいます。」

「そうか、春は向こうから来るものだが、

こちらから春を迎えに行くのも面白いな。」

「良い旅が出来そうだな。」

「ところでバイト、クビになったのか。」

「春やすみで学生のバイトが入ったので休みを貰えました。」

「そうか、それなら良かった。気をつけてな。」

 

寒い冬が和らぎ南では花の便りが聞かれる。

 

幸太は春を求めて気軽な旅を計画していた。

車窓から流れる風景は、まだ春には程遠く、それでも田園風景は春の兆し、早稲の田植えの準備であろう。

田んぼは既に耕されていた。

 

名古屋を過ぎて

滋賀県の米原駅で電車が停車時間をアナウンスした。

停車時間ものんびり旅の一つと乗車まえに買った旅雑誌を開いていた。

そこへ

「私も春探しを、幸太と一緒にしたいよ。」と、

米原駅の名物弁当、井筒屋の「湖北のおはなし」を二つ持った彼女が予告もなく突然現れた。

 

東海道線に乗って、ゆっくり南へ旅する事。

電車が横浜を出て静岡、名古屋、京都、大阪、山陽本線に乗り換えて岡山、福岡までのチケットを彼女の仕事帰りに購入して貰っている。

彼女は幸太のタイムスケジュールを把握していた。

 

彼女は仕事の休みが取れたと、喜びをあらわにして、新幹線で幸太の電車を追いかけて来た事を説明した。

 

春の景色はもう少し先だが、

幸太はすでに春の中にいた。

1つしか無いこの景色の中に彼女との春を見つけていた。

人知れず咲く、サボテンの花は

困難な状況にも耐え忍び、愛や、感情を長続きさせる、力強さや、忍耐力を象徴する花言葉で、唯一ボクサーに似合う花。である。

これは、横浜さくらボクシングジムのサボテンの花達の物語である。」

 

会長が事務所で帰り支度をしていると電話かかってきた。

会長、真理子です。覚えてますか?川田真理子です。

おお、おぼえとる。覚えとるぞ山口の

下関で頑張ってると聞いとるぞ。

女子ボクシングで頑張ったのは、うちのジムでは真理子は草分け的な存在じゃけんのぉ、

急にどうした。

会長久しぶりにジムに遊びに行っていいですか。

ええぞ、大歓迎じゃ。

「来週の土日にかけて伺います。当時の女子仲間にも声をかけてますのでよろしくお願いします。」

「待っとる待っとる。元気な顔を見せてくれるのが何よりじゃ。同窓会じやな。」

 

引き継いだ事業が軌道に乗りましたからきました。次にジムに来る時は事業がうまく行ってからと決めてましたから。

「それでええんじゃ、真理子らしいな。」

 

川田真理子は、公立の大学のボクシング部に所属していた。

女子ボクシングが芽生え始めた頃の事であった。

 

ボクシング教えて下さい。

大学が休みの日しか来られませんが大丈夫ですか。

週1か2。うむ。そうだな。

1、大学のボクシング部の教え方と異なっても、大学で異論を唱えない。大学ではそれに従う事

2、教えた事をメモっておく事、やって出来なかった事、課題をレポートして提出することを、約束をして承諾した。

彼女は、週末練習に来ると、普段来てない分を取り返すごとくトレーニングに没頭した。

当然それなりの成果が出た。

当時アマチュアボクシングもどきの試合が開催される様になり真理子はそれらの大会に参加して勝ち星を重ねた。

ボクシングに関わりながら大学を卒業すると両親を帯同してジムに来た。

娘がもう少しボクシングをやりたいと言うので面倒見てやって下さい。

 

真理子は、アルバイトをしながらの生活でボクシングを続けた。

そして、韓国で女子の世界タイトルマッチの前座で、エキシビジョンマッチとしてリングに上がる機会を得た。

アマ連が女子ボクシングを承認するすこしまえのことであった。

真理子が1番輝いたリングだったかも知れない。

 

そんな彼女のところへ、会社の社長として帰省する様にとの要請が来た。事業継承者不在の為として白羽の矢が当たったのである。

大学を卒業して2年ボクシングに明け暮れた生活に区切りをつけ24歳にして苦労を背負う事となった。

真理子の身内に事業継承者が居なかったこともあり、引き受けざるを得なかった。

 

同族会社であった会社の事業内容は、産廃事業とセキュリティ事業、それを継承し、更に新規事業として、タックルベリーをフランチャイズで始めた。

若干24歳の若い女社長、産廃業者でも特別な存在であった。真理子には多くの社員の生活を守る責務が生じた。

まず彼女が取り組んだ事案は、同族会社の悪癖を取り除く為、親戚関係者の退職を促した。退職金の手当は取引銀行から、借金をして、賄ったと話した。

次に産廃から出るゴミを、処理プラントをつくってゴミを肥料として生産した。着眼点が良かった。

地元農家と契約してこの肥料を利用した有機作物を生産した。

山口に帰省してから保守的な田舎の環境の中で小娘社長は、無我夢中で頑張ったのであろう。ボクシングにかけた青春と同じくらいにいやそれ以上だったのであろう。それなりの苦労した事が地方出身の会長には見て取れた。

 

土曜日ジムには懐かしい顔ぶれが揃った。元空手出身で寸止め格闘技からボクシングをはじめた藤野恭子、藤野の会社の同僚、吉川祐子。ボクシングファンが講じて始めた箕輪晴子。当時高校生だった岸本春奈、当時のメンツが揃った。あれから6年が過ぎた。箕輪だけが女子アマボクシングが承認されてアスリートとして活躍していた。

 

次の日「サボテンの花達」が久しぶりにグローブを合わせてトレーニングを始めた。

以前の熱気がジムの中に戻っていた。

真理子は、藤野恭子とグローブを合わせマスボクシングを始めた。

その時

真理子の目にキラリと光る涙を見た。涙は会社運営を軌道にのせるまでの苦労を連想させた。

心の許せる仲間たちとの再会が当時を彷彿させ安堵のひと時だったのであろう。

 

会長は真理子の涙を見逃さなかった。そして会長はその思いを共有して何も言わなかった。

人知れず咲く、サボテンの花は

困難な状況にも耐え忍び、愛や、感情を長続きさせる、力強さや、忍耐力を象徴する花言葉で、唯一ボクサーに似合う花。である。

これは、横浜さくらジムのサボテンの花達の物語である。

 

会長は、シャープの複合機で、昨夜

作成した書類のコピーを取っていた。

「会長ー。」と、下の練習場から2階の事務所まで聞こえる吉田トレーナーの大きな声が聞こえた。

 

小百合は、花がとても好きだった。

「会長。ジムに花を飾っても良いですか」

「空きスペースが有れば、ええぞ」

それから小百合は、殺風景なジムの中に季節の花をかざる様になった。

シャドーボクシングペースの鏡の横、

階段脇の洗面台と、もう一箇所、花は会長室にも飾られた。

 

そんな小百合が田舎に帰って間も無く3年になる。

 

会長、彼女がいなくなっでジムが元の殺風景なジムに戻りましたね。と、トレーナーの飯田が柄にもない事をいった。「そうか、いまでも花のあるジムの風景を覚えて居るのか。」

 

他にも女性会員も居たが、その後彼女のような花好きの女性は現れてない。

 

小百合には、

横浜さくらボクシングジムよりと書かれた花束が送られていた。

 

一度目はジムを辞めて郷里の高知に帰った時、「殺風景なジムに何時も季節感のある綺麗な花を飾ってくれてありがとう」とメッセージが添付されされてあった。

 

二度目は結婚した時、「結婚おめでとう。いつも家庭に花があり、主人が帰って癒される家庭で有ります様に」と書かれてあった。

 

三度目は「ジムで花の話題になると今でも小百合の話しが出て来ます。

当時のことを知る人は、今でもジムに小百合の花が咲いて居るのです。」

「ジムに、花の思い出をありがとう。」と会長から毛筆で書かれた添え書きがあった。

人知れず咲く、サボテンの花は

困難な状況にも耐え忍び、愛や、感情を長続きさせる、力強さや、忍耐力を象徴する花言葉で、唯一ボクサーに似合う花。である。

これは、横浜さくらボクシングジムのサボテンの花達の物語である。

 

富樫は会長室に純米吟醸酒、出羽桜の一升瓶を持って入ってきた。

会長この酒はとてもうまいと言う評判のお酒です。飲んでみて下さい。

会長はワセリンでグローブの手入れをしていた。

酒好きの会長は「おおそうか、それはありがたいなぁ、出羽桜は知っとるぞ山形の酒じゃな、辛口で美味い酒じゃ、」「ありがとう」と「サンキューだな」と言って酒好きの会長は笑顔見せて受け取った。

「遠距離交際の彼女から送ってきたな!」

「上手く行っとんかその後」

はい、と頷いて冨樫は会長室を出た。

 

富樫の彼女は山形に住んでいた。いわゆる遠距離交際である。冨樫の郷里は新潟、結婚したら家督を継ぐ為に田舎に帰って暮らすとの話まで進んでいる。

年に何度か,お互いの仕事に都合がついた時会える。恋人どうしである。

たまに会える関係が、いつまでも新鮮な関係を保って居るのかもしれない。

 

彼には時期だからと、さくらんぼ🍒を送って来た。

 

会長に彼女から送ってきた出羽桜を渡した後の、ジムの帰り。

 

店頭に置いてあるフジヤのペコちゃんの頭を触り動かして、冨樫は自分のあたまを動かしてみる。

もう一度ペコちゃんの頭を動かして店の中に入った。

 

6号サイズのハートの形をしたケーキを注文した、そして誕生日おめでとうと書いてもらった。

 

冨樫は自宅のアパートに帰るとケーキを半分にカットして離し、それぞれにローソクに火をつけて、スマホで映して写メを彼女に送った。

 

次に彼は離れたケーキをドッキングさせて誕生日おめでとうと写メを送った。

遠距離交際である彼女へ2人だけの誕生祝いであった。

 

遠い空の下に居る彼女から「ありがとう、会いたいなー」とハートマークのついたメールが送られて来た。