横浜さくらボクシングジムのブログ

横浜さくらボクシングジムのブログ

横浜さくらボクシングジム 会長 平野敏夫 によるブログです。
ジムでの出来事、ボクシングのこと、その他ジャンルを問わず綴っていきます。

 

 試合の際、グローブ着用の前にバンテージを巻く。

選手は会長もしくはトレーナーにまいてもらうので通例である。

それぞれのジムで巻き方が工夫されていて、巻き方が異なる。

バンデージを巻く場合、ナックル部分にバンテージを捻ってアンコをつくり硬くして巻く方法これは禁じられている。

もう一つバンデージを濡らして硬くする。これも禁じられている。

なかには、これらを承知して巻くジムもあるが悪質極まりない。

これらを考慮した上で、

バンデージをしっかりと硬く巻くためにそれぞれのジムが工夫をするのであるが、

もうひとつバンデージを巻く前にアンダーにテーピングをすることが許されている。

これもテープがナックルにかかる事は禁止事項の1つである。

テープは拳全体、手首にダメージを受けない様に工夫してテーピングを施す。

バンテージを巻いた後のテーピングとは趣が異なるのである。

いずれのジムもそれぞれ工夫して硬く巻く事に力をそそぐので独自の方法を考案する。

更にボクサーが拳を痛めている時には更に特別な巻き方をするなどそれぞれのジムの企業秘密が隠されている。

私も独自の巻き方をするが、コミッションに確認を取っているので違反行為とならないでいる。

タイトルマッチでは、お互い立ち会いのもとにバンデージ巻きを確認をするので、これらの違反行為をチェックすることができる。

 以前関西でOPBFタイトルマッチを行ったとき、相手側から立会いを無しにしようとの提案を受けたことがあるが断った。

その後JBCのインスペクターからも相手側が立会いなしにする様提案していると言ってきたがタイトルマッチでは立ち会うのが当然の事として断った。

相手が何らかの策を講じると考えてしまうのは当然のことであろう。

海外のタイトルマッチでもお互い立ち会う、コミッションのインスペクターが立ち会う場合もあった。

ロスアンゼルスのバーバンクで試合をした時はバンテージ下のテーピングも禁止された。

ローカルルールであっても、それは決まり事として従わなくてはならない。

試合時に着用しているグローブの中にはバンテージにまつわる物語りがありそうである。

 

 

 会長明日練習休みます。

また大阪に行くのか、はい

春奈は答えた。

春奈(ハルナ)は、秋奈(アキナ)と名前をつけた方がよかったぐらい、アキラメが早い性格だったが、

折を見つけては大阪の男だけには会いに出かけた。

大阪の男、戸山は住職の資格を持つプロボクサーだった。

ジムでは6回戦を2勝してA級ライセンスを取得した所で、実家から父親の体調が優れないから帰る様に要請が来て帰省した。

ボクシングを続ける事を条件に父親の後をついでお寺の住職になった。

そして、そのまま大阪の男になった。

アマチュアのキャリアがあって、ボクシングは、足を使ったアウトボクシングで綺麗なボクシングができた。

ボクサーとしてはイケメンでファンも多かった。

戸山もボクシングの魅力に取りつかれた1人だったのだろう。

関西でも、それなりのファンを得てボクシング活動を続けていた。

 

春奈は試合の度に応援を兼ねて大阪へ出かけてデートを重ねた。

お土産に、必ず「銀の極上バニラ、ピーナツあげ たこ焼き味」を持参する。

最初、美味い美味いと礼を言ったからかも知れない。ジムを休んで大阪に行った事が直ぐに分かる。

戸山の勝率は良かったのでほぼ楽しい祝勝デートだった様で、暫くは試合報告に花が咲く。

試合会場が大阪府立体育館だった事もありデートコースは難波が多かった様だが、

トンボ帰りの場合は大阪駅深夜バスターミナルを利用するために大阪駅近くの梅田界隈に移動した。

大阪移動には新幹線か、深夜バスを利用した。

 

今回も翌日の仕事を休めなかったので深夜バスにした。

バスターミナルを定刻に出発した。

戸山からのメールが届いていた。

昔住職(ムカシ、ジュウショク)今無職(イマ、ムショク)これから人生をリセットします。

これからは新幹線も深夜バスも無しやで、とあった。

大阪の男らしい言い回しの、お別れメールだった。昔住職今無職ですか。

 

檀家の減少と普段の墓参りが殆ど無くなったとの話は、聞いていた。

電車もバスでも来なくて良いとのメールに、それでは飛行機でとも思ったが、

それは戸山との別れを意味していて、春奈は試合の度に通いつめた、大阪の男に失恋をした。

 

「大阪の男やで」頑張りなさいと、メールを送った後、

バスのカーテンを少し開けて、覗いた大阪の夜景が、涙に滲んで寂しく後ろに流れていた。

そして今回も春奈が、秋奈になった。

 

 

 

 ジムの復活と開設について

協会には加盟に関する内規が存在し、ジムの開設にはルールがあり長い間守られて来た。その秩序を乱す事件が起きた。

事の発端は、元東洋チャンピオンであった故勝又行雄氏が協会復活を申請したことに始まる。

勝又ジムは、弟子の開行憲氏に金銭譲渡した。

ジムは後にロッキージム(現在廃業)と名称変更して、台湾出身初の日本チャンピオン ロッキーリンを育てた。

勝又氏は自分のジムの権利を譲渡したのであるから、その権利を失ったことになる。

権利譲渡後の復活が可能で有れば、ジムを作って売りの、繰り返しが可能となる。ボクシングジムは法人資格で協会に加盟する事は出来ない。個人の資格でボクシング活動が出来るのである。勝又氏はその個人の資格を弟子の開氏に売却した。

当時加盟金は50万円であったが具体的な金額は控えるがそれなりの金額を払ったと、開会長本人から聞いた。

この様な経緯から、勝又氏は、本来復活する資格はないのである。

勝又氏は関西のスポーツトラブルに長けた弁護士T氏に相談依頼して復活を可能にする様頼んだ。(私も別の件で上京した際面談をしたことがある。)

独禁法違反を盾に裁判に持ち込むと騒いで、協会は勝又氏の復活を認めさせた。

本来協会は裁判を受けて立つべきであったが、協会の執行部は、顧問弁護士に相談する事もしなかったのであろうか。

これでボクシング協会は、長年守ってきた村社会的な秩序は崩壊し始めた。

同じ駅にジムが複数みられる様になった。由々しき問題である。ジム練習会員の奪い合いは各々の首を絞める事となり、そうでなくてもボクサー志願者が減少して居る環境は、経営の圧迫をきたしている。

こうして村社会的な秩序ある運営をしてきた協会は、いつのまにかギクシャクとしたものになり。

箍の外れた協会加盟ジム間の移籍は自由になり、会費の内規は崩れ格差の広がりは顕著なものになり、夢のあるボクシングジム経営は、偏りを見せる様になったとの声が聞かれる様になった。

体力のないジムは生き残りを図り本来のボクサー育成に徹するか、健康スポーツジムにするかの選択を余儀無くされているのが現状であろう。

このことが起因となって協会は協会員を守る、本来の目的を果せなく成っているのでは無いだろうか。

 

追記 

勝又ジム復活には、多くの問題があった事は事実であるが、復活後に彼は協会の会計問題に取り組み不正を追求して多額の消える協会資産を守った。

 

 

     

 ジムに入会したいのですがと、橋口肇が事務所に入って来た。

横浜さくらジムで開催した、第5回全国ちびっ子大会で、井上尚弥がボクサーとしてデビューし、ここからレジェンド井上尚弥ストーリーが始まったと知って、横浜さくらジムに興味を持ってボクシングを始めたくなったそうだ。

仕事は看護師をしていると言う。

尚弥の大ファンだという橋口は、彼女の森山和江とカップルで入会した。

2人ともに、尚弥の大ファンだった。富裕層で育った2人は、高額なリングサイドのチケットを購入して毎回試合会場に足を運んで観戦していた。

 

横浜さくらジムのウィンドーに、ジムで開催した全国ちびっ子ボクシング大会で井上尚弥が初めて公式の試合で使ったグローブとヘッドガードのセットが保管してあった。

橋口は、展示してあった尚弥のグローブセットがたまらなく欲しくなった。

幼児的で駄々っ子的な願望であった。

会長は初めは笑って断っていたが、余りにも再度の要求に根負け負して、承諾してしまった。

橋口の金額交渉も徐々に値上がりした事もその要因であったかも知れない。

世界に1つの逸品を1,500万円の値をつけて、譲ってもらえる事になった。

横浜さくらジムの会長のサイン入り証明書と大会のパンフレットを付けて貰った。

更に本物である事の証にと、当時の試合の動画がセットになっていた。

 

大会のパンフレットには、尚弥の他に弟の拓真、矢吹正道(佐藤)、亀田和毅などの出場者名が記載してあった。

全て世界チャンピオンとして名を残している面々である。

購入に際し橋口は実家から1,500万円の大金を融通してもらっていた。

会長も尚弥の活躍が高く評価される事に、日本でキッズのボクシング大会を初めて開催した当事者にとって悪い気はしなかった。

 

尚弥はバンタム、Sバンタムの2階級統一世界チャンピオンになり100年は現れないであろうボクシング界のレジェンドと言われる様になって、その価格はファイトマネーから勘案して尚弥のグローブセットは1億5,000万円に跳ね上がった。

 

そして尚弥が、中谷との激戦を制したあと

橋口と遠籍で、アラブ共和国とビジネスを展開していると言う人物が現れた。

そして

2階級統一世界チャンピオン誕生物語のスタートとなった記念のグローブとヘッドガードのボクシングセットを10億5,000万円で買い取る話しを持ち込んで来た。

アラブ共和国のムハムンド王様は金にはいとまを付けない、どうしても手に入れたい言う。

 

橋口が1,500万円でやっとの思いで譲り受けた、欲しくてたまらなかった尚弥グローブセット、金額は異なるが、ムハムンド王も同じ思いなのであろう。

 

橋口肇と森山和江には、ジムをビルに建て替えて上階にサウナや、露天風呂を作るジム仲間と共有する夢があった。

その為に2人はジムの仲間と毎年宝クジを買うイベントに参加していた。

この尚弥グローブセットを売却する事に同意すれば一挙に希望が叶うことになる。

仲介者に10%の謝礼を支払ったとしても1,500万円でやっとの思いで手に入れた尚弥のグローブとヘッドガードの記念セットが尚弥の活躍で、宝くじにでも当たったかの様な金額に高騰したのである。

 

橋口は、このお金を横浜さくらジムのビル建築計画に提供、ニュージム完成の暁にはここで森山和江との結婚式を挙げたい旨を和江に話して、プロポーズ結婚を申し込んだ。

和江は、橋口の壮大な結婚式計画に返す言葉を失った。

 

これを夢かなう愛と言わないで、この他になんと言えば良いのでかろうか。

 

橋口肇と森山和江は、現実となる夢と、結婚という愛を結実させる現実をしみじみと噛み締めていた。

 

 

 

 WBA・ WBCの国際ライセンスを有するJBC西部所属の故桑田レフリー

キャリア十分のレフリーが、第47回全日本新人戦王決定戦後楽園ホールに於いて、前代未聞の不可解なレフリングをした。

浅見眞弘(横浜さくら)VS  東出智敬(畑中)

浅見はサウスポーで7戦全勝全7KO、東日本では賞を貰っている将来を嘱望された期待のボクサーであった。

相手のボクサー東出は西軍で畑中ジムのボクサー。

浅見のパンチがヒットしてチャンスを迎えると東出はマウスピースを落とす。

レフリーはその度に試合をストップして、コーナーへもって行きマウスピースを洗わせ、選手に装着して再開させる。

この行為を7回繰り返した

流石にリングサイドのボクシングファンから、悪意に満ちたレフリングに、会長抗議をすべきだと声が出た。

レフリーや、ジャッジの采配は、選手の将来を左右する重大な役割りを有している事は当然の事である。

他にこの様なレフェリングをしたとのニュースを聞いた事が無い。問題は提訴に値する。

試合の流れの中の抗議で試合を中断させるわけにもいかなかった。

試合の翌日JBCに出向き当時の故小島事務局長に抗議をした。

レフェリングの異常を認め詫びたが、わたしは桑田レフリーのライセンス停止を求めるペナルティーを要求した。

小島事務局長は、西部にはレフリーが少ないので何とかならないかと懇願した。

それならばと試合の無い時、短期で良いから停止して、JBCの広報に、記載することを約束して話しをまとめた。

この様な事例は、当事者同士の問題としない事が重要で、多くの関係者に知ってもらう事が必要であった。

レフリーも、重大な瑕疵があればペナルティーを要求することができることを、我々は知っておくべきである。

JBCの側はボクシングに関する諸問題を提訴受理処理しなければならない立場にある。

但しこれまでは、個々の事案として内々に処理されて来た為に同じ事が繰り返されて来た。

私は、問題の大きさから公にして、広報に記載してペナルティーを課した事を多くの人に認識して貰わなくてはばならない。

これは私達、ボクシングに直接携わる者にとっての責務であり、この様な事が再び起こらない様に務め一番の被害者であるボクサーを守らなければならない立場にある。

そして、間違いの再発を防ぐ為にも紙媒体JBCの広報に残して置くべきと考えた。(現在は、冊子による月刊誌の広報は廃刊となっている。)