横浜さくらボクシングジムのブログ

横浜さくらボクシングジムのブログ

横浜さくらボクシングジム 会長 平野敏夫 によるブログです。
ジムでの出来事、ボクシングのこと、その他ジャンルを問わず綴っていきます。

「人知れず咲く、サボテンの花は

困難な状況にも耐え忍び、愛や、感情を長続きさせる、力強さや、忍耐力を象徴する花言葉で、唯一ボクサーに似合う花。である。

これは、横浜さくらボクシングジムのサボテンの花達の物語である。」

 

 

会長がミットを受けていた。

会長のミットはキッイとの定評がある、積極的に求めてくる者は多くは無かった。

ミノルはミットトレーニングを積極的に求めてくるボクサーの1人だった。

 

ミノルは常に隣の席にグローブを置いた。

お茶に行った時隣の席にグローブを置く、食事行ったとき隣の席にグローブを置く、車に乗っ時隣の席にグローブを置く、赤色のグローブは、ウイニング製の8オンス。

試合の時使う紐タイプのものと同じ物を、練習の時、主にパンチンググローブとして利用していた。そのグローブを隣の席に置くのである。

 

気の合うボクシング仲間に山内がいた、プロテストが同じでプロになった。

練習時間が同じ時間帯である事もあり、ジムを出てからもボクシング談議で一緒に過ごすことが多かった。

その際、ミノルが何時もグローブを側の席に置くことに気付いた山内は、隣の空席にグローブを置く行為の謎を聞いた。

 

ミノルは、以前付き合っていた彼女がいた、そして待ち合わせしたときは、必ずグローブで席を確保して、来るのを待った。それが習慣になった。と話した。

さらに付け加えていった。分かれてみて彼女の良さを再認識した事。

気遣いが優しくて控えめ、

育った環境なのか親の躾なのか、嫌味のない女性らしさを身につけていた。

ファッションに派手さは無かったが、衣服に何時も柔軟剤のシトラスの柔らかな香りを漂わせる雰囲気があった。

男兄弟で育ったミノルにとって、特に仕草に女性を感じていた。そして何よりも愛していてくれていた事。なのに。

ミノルは、彼女を幸せにする事が出来るのだろうか、おれは自己中で勝手だなと、彼女への思いを結んだ。

 

「今度いつ彼女がこの席に座りに来るのか、いつ来てもいい様にですか。」山内は頷いて納得した。

 

今日も、ミノルの赤色のグローブは、来るあてのない彼女のために「指定席」をキープして、帰って来るのを待って居た。

「人知れず咲くサボテンの花は

困難な状況にも耐え忍び、愛や、感情を長続きさせる、力強さや、忍耐力を象徴する花言葉で、唯一ボクサーに似合う花。である。 

これは、横浜さくらボクシングジムのサボテンの花達の物語である。」

 

会長がタオルを首にかけて汗を拭きながらリング内でのシャドーボクシングに声をはりあげてゲキを飛ばして居た。

照井マサルが会長に声をかけた、次回の試合はサウスポーになりそうです。

新人王にエントリーすると相手の戦績を含む情報が公開される。

そうだな、アマの戦績もある様だからしっかりサウスポー対策練習をして試合に臨まないと勝てないぞ。はい分かってます。マサルは、ボクサーとは思えない端正な顔立ちであった。

 

マサルは自宅の近く湘南海岸にある開放感抜群のテラス席のあるカフェ・ダイシストで、湘南の海を眺めながらに1人すわって、ぼんやりとお茶をして居た。

この場所で海岸のサーフィンや海水浴を見て過ごす時間がマサルのストレス解消になった。

 

そんな様子を少し離れた同じテラス席で、お茶をしなが見ている、マサルに思いを寄せるナナがいた。

以前、同じ高校に通っていたこともありスポーツマンのボクサーマサルは皆んなからの憧れの存在であった。

もしも、もしもだけれど、彼の隣の席に座る事が出来たら、どんなに素敵で幸せなそうな絵になるだろうか、とそんな姿を夢見る乙女心のナナが、少し大きくなった胸をドキドキさせていた。

 

別の日マサルが、淡いクリーム色に染めたロングヘアーに、クリーム色のキャミソール、そしてチュールのパープルブルーのスカートが、夏風に泳ぐ波の様に涼を感じさせる着こなし上手な女性と、湘南海岸を江ノ島方向に腕を組んで歩く姿があった。

 

いつもの白いテーブルのテラス席から2人を眺めて居るナナがいた。ナナもカフェ、ダイジストから眺める湘南海岸のいつ来ても飽きないロケーションがとても好きだった。

もしも、もしもだけれど、腕を組んで湘南海岸を歩くマサルの相手がナナだと、もっと素敵な景色が見えるのに。

 

そんな切ない乙女心を、もしも、もしもだけれど、湘南の海風に乗せてマサルに運んでくれたら良いのにな。

横浜さくらジムに、かかわるサボテンの花達を題材とした物語をここまで書留めて来ました。

物語はこれからもから続きますが、

既に最終章が存在します。それは私自身残された人生をどう生きるか、をテーマとしたものです。

 

先日、ジム関係者に喜寿の祝いを開催して頂いたのを機に最終章を公開、生前葬的な位置付けにしたいと思います。

多くの人に、この文章を目に留めて頂ければ幸いです。

 

ブルーな、空と海、エルビスプレスリー主演の映画、ブルーハワイ、そこには、兵役帰りの若者が、青い海と青い空、歌と音楽と仲間達と過ごすラブストーリーが描かれている。当時はまだワイキキのホテル群も少なく映画の中にはハワイの代名詞ダイヤモンドヘッドの全景がはつきりみえていた。

そして、ブルーなハワイは今も昔も変りなかった。

 

会長、今度のホノルルマラソンは、誰をご指名ですか、一般会員の村上が尋ねた。

村上もホノルルマラソンを体験した1人で、ゴールまでやっとの思いでだどりついた苦しさから再度行きたいとはいわないが、カピオラニ公園のゴールに辿り着いた達成感は、強烈に残っていて懐かしそうに尋ねた。

 

会長は、12月に試合が決まってなければを前提に、ホノルルマラソンを楽しみにしている。

ホノルルマラソンには大抵は誰かが会長から誘われてその餌食にされるが、マラソンの過酷さを味わって見たいとの思いは、それぞれが密かに思い抱いているのは確かで仕事の都合がつけばを前提に行って見たいと指名を期待する会員がいるとの声も聞かれた。

 

だが会長のホノルルマラソン、ハワイへの思いは少し違っていた。

ホノルルマラソンを口実に、休日のないジム運営に一年お疲れ様のバカンスでマラソンの完走は、健康へのバロメーターと位置付けてチャレンジをしている。

ハワイの青い空と青い海の景色。何よりもワイキキにタムロしているリゾート客は、ブルーなハワイを背景にバカンスを楽しんでいる。その空気感がとても好きだった。

 

会長は、密かに決めている事があった。いずれ引退してリタイヤする時期が来る。それもそう遠くはない。

今の日常生活、朝はモーニングジョグで身体の目覚まし、ブレックファーストの健康食で1日の体を支える。昼は好きな仕事ボクシングで体を動かし新陳代謝の促進、仕事が終わって遅い夜は、軽いお酒でディナー、

これに加えて、時には気の合った仲間と深酒を控えた飲食パーティー。

 

このままで不足は無いが、これからは仕事を少しひかえて、

老後の生活を、青い空、青い海のブルーハワイな気分の日々を、気の合った仲間と一緒に歌と音楽とマウイワインのある環境でゆとりある楽しい終活生活を送ること、出来ればそんな老後を迎えたい。と。

 

こんな贅沢で幸せな老後を過ごすモデルに私はなりたい。とも。

 

「人知れず咲くサボテンの花は、困難な状況にも耐え忍び、愛や、感情を長続きさせる、力強さや、忍耐力を象徴する花言葉で、唯一ボクサーに似合う花言葉である。

これは、横浜さくらボクシングジムのサボテンの花達の物語である」

 

会長がスパーリングを見て居た。

足を使え、打ったら動け、ジャブはどうした。

 

会長はアウトボクシングを指導して居て、ふと、以前指導していた沖縄出身の上原清太郎のことを思い出した。

 

ひと昔前プロボクシングジムは八畳二間前後の小さなジムが多くみられた。

したがって、プロボクサーにファイターが多かったのはそれが一つの理由だっかもしれ無い。

その様な環境の中で、唯一足を使うボクシングができるボクサーが上原清太郎であった。

私のそだてた数少ないアウトボクサーだった。

性格がとてもユニークで勝敗にはあまり拘らないボクサーであった。

試合も自分の判断で、ラウンドを制した場合には、セコンドが迎えに行くまでフットワークを使って動いている。逆の場合は直ぐにコーナーに帰って来るので分かりやすい。

戦いは、お客が喜ぶ、自分が納得した、それで良しとした。

ボクシングへのこだわりは、誰とやってみたいであった。

ハードパンチでついたリングネームのハンマー田中に判定勝ち。

韓国のソウル文化体育館で、トップアマから転身、売り出し中の金何誠サウスポーに、右のストマックブローの一発で悶絶の逆転KO勝ち。

体育館いっぱいのお客の歓声は一瞬その光景に静寂な時間を生んだ。

当時韓国では、無敵のチャンピオン、ユーミョンウーなどを要しソナギパンチの韓国ボクシングと言われた1番勢いのある時代のことであった。

 

関西で抜群の人気ボクサー、ノンタイトルでも大阪府立体育館を満杯にした白井英和の、連続KOをストップした。一度前足を踏まれてダウンをしたが判定まで持ち込んだ。

そして彼はこれで気になるボクサーとは全て戦ったと。リングにグローブを置いた。

 

楽天家の清太郎のこと、憧れの職業だつた長距離トラックに乗って、菅原文太のトラック野郎、一番星を歌いながら、今も元気でハンドルを握っていると、風の便りに聞いた。

清太郎もそろそろトラックから降りる年齢なのだが

部類の楽天家である。

今は、成る様に成る。成る様にしか成らない。と考える清太郎の人生哲学を実践中なのであろう。

「人知れず咲く、サボテンの花は

困難な状況にも耐え忍び、愛や、感情を長続きさせる、力強さや、忍耐力を象徴する花言葉で、唯一ボクサーに似合う花。である。

これは、横浜さくらボクシングジムのサボテンの花達の物語である。」

 

お願いしまーす。

大きな声がジムの中に響き渡る。イケが来たことがすぐわかる。

イケは本名を池尻元気、ボクシングは、イケイケのファイターと池尻のイケをもじってジムではイケと呼ばれている。

元気の名前の由来は親父がボクシング漫画「がんばれ元気」のファンだったからだそうだ。

会長が方言まじりで、どうした今日は何時もより早い“のお”と、声をかけた。

会長と同じ岡山出身のイケが、同じく方言まじりに、仕事が早く終わりました“けん”と、答えて軽く頭を下げた。

イケは既婚者で既に可愛い女の子マユミ5歳がいる。

イケは左手の小指に、外す事のないプラチナの指輪をしていた。

既婚者なので薬指に指輪をすることは珍しく無いが、既婚者が小指にリングは聞いたことがない。

練習する時、試合をする時、バンテーをするのでリングは隠れて見えない、パンチはナックルで打つので打撃にも支障が無い。

イケには、リングを外さない理由があった、従って左手の小指からリングを外す事はなかった。

その事に気づいていたのは、試合の時バンテージを巻く、会長とトレーナーぐらいで、後は誰も知らない事であった。

会長もトレーナーも試合の時などの縁起担ぎにリングを外さないのだろうと、理由を勝手に想像して、追求しなかった。

 

試合が終わった。激しい戦いだったがイケは2対1の判定で東日本の新人王に輝いた。

後援者が集まって祝勝会を開催してくれた。

会長が祝勝会のあいさつをした。

一進一退の厳しい試合内容だったが最終ラウンドのラスト30で試合を決めたな、よく走ってスタミナには申し分無かった。ジムワークも妥協する事なく頑張った結果じゃな、この日があるのもここにおいで頂いた後援会の皆さんのおかげじや、ありがとうございます。取り敢えずイケにはおめでとうじゃが、

まだ全日本が残っとるけん、縁起物の小指のリングを着けて次の全日本の新人王を目指して頑張りましょう。

そして後援会の皆さんにはこれまでにも増してイケを宜しくお願いしますと挨拶をした。

続いてイケが祝賀会のお礼の挨拶。

後援会の皆様には、何時も試合会場に足を運んで頂き有難うございます。お陰様で、まだ東日本では有りますが新人王になる事ができました。と型どおりの挨拶をした。

そして、先程会長から、次も縁起物のリングを付けて全日本を頑張る様にと激励されましたが。

リングは、右手の小指から入った、幸運や福、皆さんから頂いたパワーが薬指、中指、人差し指、右手の親指から、左手の親指へ移り、人差し指、中指、薬指、左小指と抜けていく、その抜けていく幸運をこのリングで止めているのです。

そして私の娘が20歳になったら、このリングに貯めた幸運や福を渡すと娘のマユミが幸せになれるそうです。 

ですからわたしは、今皆様から頂いている喜びや、これから先に掴むであろう幸運を逃さない様に、今も私の左手小指にリングをはめています。と言って左手小指にはめられたリングを後援会の全員に見せるように、左ストレートを突き出して拳のリングを披露した。

この時、娘のマユミから「パパありがとう」と、感高い可愛い声が祝勝会の会場に響いた。

 

⚪︎私のブログにはモデルになったボクサーがいますがリングのイケもその1人です。物語は創作ですがいい話ですよね。