2011/12/24/12/25 南三陸町現状
志津川では電柱が増え、信号機が付いてました。これが当たり前の光景ですが、つい最近の事です。
夕刻の志津川、冠水。
歌津駅より赤茶けた塩害杉が津波の高さを語る。
歌津駅より。伊里前地区を望む。
左中央にプレハブの商店街ができていた。
岸壁はかさ上げが進まず、瓦礫(人々が暮らしてきた痕跡)は高く積まれたまま。
ばなな漁港は馬場地区の「ば」中山地区の「な」名足(なたり)地区の「な」から成る。
ガット船による海底瓦礫除去作業と岸壁の応急かさ上げ。
埼玉のボランティアが建てた立派な海の男達の休憩小屋。
中山、馬場地区では陸では壊れてしまった和船が並んでいた。
ワカメの水揚げが始まるが作業小屋建設の場所の問題、ボイル、塩蔵する機械の不足。
篭の不足。まだまだあらゆる問題がこれから話し、まとまらなくてはならない問題だそうだ。
養殖、ホタテ、ホヤは全く手付かず。
歌津館浜地区
漁港の集約の問題。
先日とても悲しい出来事があった地区。
空は青く澄んで、海面には日差しが煌いていた。
歌津の海水浴場。長須賀海水浴場。
館浜から抜ける道はずっと工事中で抜けられなかったが道が繋がった。
いつここで子供達のはしゃぐ声が聞こえるようになるだろうか・・・
歌津泊浜(とまりはま)地区
リアス式海岸の特徴なのか、この地区は歌津の半島の突端に位置する。
船が守れた数が多い地区。
同じ歌津地区でも船1台しか残らなかった伊里前地区など船が残った地区、残らなかった地区と明暗を分けた。
みなさんが声を揃えて言うのは、まさかここまでくるとは・・・
先代から伝え聞いていた安全な避難場所。
そこから更にに上へ更に上へと・・・
よく考えてみよう。
自分の問題としても。
インフラの整備、町作り、仕事の再開、人々の再興。
今年がまもなく終わるが、復興へはまだ、序章の段階。
どこをどう見たら復興したと言えるのだろうか。
いっときの笑顔が見れて、その人達は前向きに進んでいると思いますか?
家族だけになるとあらゆる問題が前方を塞ぎ、苦しんでいる人々が多いそうです。
ここは同じ日本です。
明日、突然、なにもかもなくなったらどうしますか?
それがまだ10ヶ月の段階がここにあります。
今年が終わろうとしています。
来年に向けて個人、個人が何ができるか、何ができそうか。
現地を学ぶ。
暮らしぶり、歴史、人と人の関係。あらゆる事を。
そこから再度始めよう。