喜屋武岬(キャン岬) 沖縄⑧ | クマさんの青空縁側食堂

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さあ〜今日は何する 自由気ままに行こう!

沖縄決戦の時 追い詰められた住民は、現在の ひめゆりの塔の3キロ先の喜屋武岬

断崖30メートルから 多くの人がここから身を投げた まさに この場所喜屋武岬にいる

 

昭和44年平和の塔が置かれた ひめゆりの塔に行く人は沢山だが、この場所に来る人は僅かだろう

 

この時も、2人だけの訪問者 85過ぎだろうか 老人が女性に連れられ平和の塔を見ていた。

レンタカーで無く軽自動車だから地元の人だろう 沖縄決戦の時は10歳だったと推測する

40メートルの絶壁 ここから身を投じる島民達が居た事に胸が痛みます 

黙祷

ここに行く途中 700メートル前にグスクが断崖にある

具志川城跡 

 

周りには、黄色のハイビスカスでしょうか、沢山咲いていて、赤いハイビスカスは咲いて無い

イモリも何匹も目にする

ひっそりとあるので ここにも、人は居ない

 

あちこちに立て看板という事で 茂みには居るね

13〜14世紀 朝鮮王朝 朝鮮建国の太祖 イ、ソンゲ バンオンが居た頃だろうかはわからないけれど、琉球王朝の王の服を見比べると、良く似ている

 

国の指定史跡

 

字喜屋武の南方海岸に築かれたグスクで、三方が海に面している。陸続きの東側城門は切石積みで、さらに岸に沿って野面積みの石垣がめぐらされている。場内は2つの郭で分けられている。正確な築城年代は不明

「スーフーチー」(潮吹き穴)と呼ばれる自然穴が城門近くにある。
 県内には、具志川城と呼ばれるグスクがうるま市具志川と久米町具志川、そして糸満市にある。規模・構造・立地状況がよく似ているといわれているが関連等については今のところ不明である。
 伝承によると、久米島町具志川城の按司が久米島を追われて喜屋武に落ち延び、この地に城を築いたのが具志川城跡だといわれている。
 遺物としては、13~14世紀ごろの中国製陶磁器類が採取されている。(糸満資料より)

遠くシロガシラが鳴いていた