昔話稲妻表紙  巻之四 (第十四 1/2) | 五郎のブログ

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桃源郷は山の彼方にあります

第十四 仇家の恩人。 (1/2)

 ここにまた湯浅又平(ゆあさまたへい*1)というのは、戸佐正見(とさしょうけん)という名画人の弟子で、彼自身も画道に秀でていたといえども、わけがあって師の勘当を受けて、その後正見も小栗と筆のあらそいによって勅勘(ちょくかん・天皇から勘当されること)の身となった。
 又平は次第次第に落ちぶれたので、妹の藤波は白拍子となって、兄に仕送をして助けたが、これも思いがけず殺害されて、ますます困窮したので、どうしようもなく夫婦ともども、元の住処を去って、近江の国にうつり、大津走井の近辺に住み、絵を描いて往来の旅人にこれを売っていた。
 妹の菩提の為と思う心から、多く仏像を描いた。十三仏地蔵菩薩などであった。

 そのころは一般の人々の家に木造の仏像はまれで、多くはこの又平の仏画を身辺に置いて本尊にしたとか。
 仏画だけでなく浮世の人物やさまざまの戯画をも描けたので、浮世又平大津又平とも言った。
 彼はまた吃音であったので、言吃り(ことどもり・吃音、現在では差別用語)の又平とも言った。その絵を大津絵とも追分絵とも言って、その当時の人や子供などは愛好する事が多かった。
 またその妻の名を小枝(さえだ)と言って、藤波の次の妹阿龍(おりゅう)も、今は兄の又平に養われて、ここに居て同じ住居に住んでいた。
 藤波は先年に佐々良三八郎のために罪なくして殺されたので又平はなんとか三八郎を一太刀と恨んで、妹の修羅の積年の恨みをはらしてやろうと、日頃心がけていたが、三八郎が姿をくらまして後、まったく行方がわからないので、むなしく月日を送っていた。
 さてある年の春、藤波の祥月(しょうつき・死者の命日のある月)命日にあたる日に、妻の小枝と妹の阿龍達が進めるので、あがた(その地方、郡、県)の神子(霊媒)を雇って、藤波の口寄せ(霊の召喚)をして、死後の安否を聞いてみた。
 さて巫女は上座に居座って「目上の人か目下の人か、生きているのか死んでいるのか」と聞くと、小枝は進み出て「目下の者で死んでいます 」と答えながら、樒(しきみ・木の名、全体に香気があり、葉のついた枝を仏前に供える)の葉で水を手向けると、巫女はちいさい弓を取り出して、弦を打ち鳴らして、まず神降ろしをとなえた。
  (神降ろしの文言はそのまま{訳者})
  「夫(それ)つつしみ敬(うやまい)てまをし奉(まつ)

   る。上は梵天帝釈四大天王、下は閻魔法王。五道冥官、

     天の神、地の神、家の内には井の神、竈(かまど)の

       神、伊勢の国には天照皇大神宮、外宮には四十末社(ま

   っしゃ)内宮には八十末社雨の宮風(みやかぜ)の宮

     (みや)、月読日読(つきよみひよみ)の御神、當國の

      霊社には、坂本山王大権現、膽吹(いぶき)神社、多賀

      明神、竹生島弁財天、筑摩明神、田村の社日本六十余洲、

      すべての神の政所(まんどころ)、出雲の国の大社(お

       おやしろ)神の数は九万八千七社の御神、仏の数は一 

      万三千四箇の霊場、冥道(みょうどう)をおどろかし此

    (これ)に降(くだ)し奉(まつ)る。おそれありや、此

      時によろずのことを残りなく、おしへてたべや、梓(あ

      づさ)の神、うからやからの諸精霊(しょうろう)、弓

     と矢のつがいの親、一郎殿より三郎殿、人もかはれ水もか

     はれ、かはらぬものは五尺の弓、一打(うち)うてば寺々

     の、仏壇にひびくめり」
 梓の弓(神事などに使用される梓の木で作られた弓)に引かれ引かれて、藤波の亡魂がここまで来たのだ。
 「なつかしい、よく水を手向けてくれました。主君とはいいながら、おそれおおくも心では、夫とも思っていたから、烏帽子宝(えぼしたから・愛する子供)を産んで、唐の鏡(大事にしている妻や子供などのこと)、と大切に世話をしてもらい、あなた達にも安心させて、楽しい暮らしをさせてあげようと、思っていた事も左縄(ひだりなわ・物事が思うようにならないこと)、結い紐のない私の身の上(正妻でないことか?)、少しの罪もないのに、よこしまな刃に身を葬られ、つきない恨みの悪念が、この身を焼け焦がす炎となり、はれない思いの暗い道に今迷っています」

と、たいへん哀れに言うと、小枝は泣き声で「うかばれないわけです、冥途の苦しみはどれ程かと、思い図れば図るほど、胸がふさがり、心が消える思いです」と言ってふっとため息をつくと、阿龍はうしろに伏せて、涙にむせぶだけであった。
 巫女は続けて言った「地獄の恐ろしさを聞いて下さい。私の様に刃にかかって死んだ者は、刀山地獄(とうざんじごく)と言って、つららを逆さま植えたような剣の山を、牛頭馬頭(ごずめず)の鬼たちが、くろがね(鉄もしくは硬い物)の杖をあげて追い立てるので、罪人はしかたなく、泣き叫びながら駆けてのぼり、駆けてくだって苦しむのです。私も日々にその苦しみ受けています。あるいは火の車に乗せられて、黒闇*2(こくあん)の道を行く時もあり、あるいは血の池に浸って、火の雨に身を焼き焦がす時もあり、紅蓮大紅蓮*2(ぐれんだいぐれん)の氷に閉ざされ、叫喚大叫喚*2(きょうかんだいきょうかん)の炎に焼かれ、段階で変わる地獄の様子は、なかなか言葉では伝えられない。その責めの苦しい中でも、ただ忘れられないのが殿の御事、なつかしく思いますのは、あなた達御夫婦と妹です」

と言うと、又平は目をこすって赤くして「聞けば聞くほどかわいそうだ。貧しい私に仕送りしようと、さまざまな苦労や困難をして、たまたま少しの幸運で、思いあった殿に愛され、その身が出世したと喜ぶ間もなく、思いがけず死ぬ事になったのであれば、心が残るのも当然である。せめて敵を探し出し、仇を報いて修羅の積年の恨みをかならず晴らすので、はやく成仏して苦しみの世界から逃れるように」と、念珠をこすって鳴らし「南無阿弥陀仏、・・阿弥陀仏」と、唱える声も吃音で、たいへん哀れさが増した。
  巫女は言った「そうおっしゃることがこそ私の身には読経にまさる功徳です。これ以上の御情けには、仇を報いなさってください。情けないのはこれまで手向けていただいた飯菜も、みさき(神の使者とされる鳥獣、稲荷の狐、八咫烏など)烏に妨げられ、私のもとに届かないので、飢に絶えない餓鬼の飯は、炎となって消え失せる。できるのならみさき烏をよけてください、くれぐれもおたのみします。ああ名残おしい話したいこと言いたいこと、数限りなくあってつきないのですが、黄泉の使いがうるさいので、もうお別れします」と言い終わって巫女は眼を開きしびれを撫でていた。
 又平は小銭を取り出して与え、その労に感謝すると、巫女はこれを受け取って、別れを言って帰っていった。
 さて小枝は、今夜の仏に供えようと高木に餅を買いに出かけると、阿龍は涙をぬぐって、この間に香を盛って、手向けようと奥に入り、又平は独りここにのこり、胸の前で腕を組んでいた。
 ちょうどそのころ三月の初めで、堅田(近江の地名*3)に落ちる雁金(かりがね・雁の鳴き声、堅田は落雁⦅らくがん・降りる雁⦆で有名)も、こしじ(北陸地方へ向かう道)に帰る時なので、比良(近江の地名*3)の高い山の雪おろし(雪をともなって吹き下ろす風)、立春後の寒さが増して肌寒く、瀬田(近江の地名*3)に傾く日の光も、西方浄土と思うから、唐崎(近江の地名*3)の松風も、常楽我浄(じょうらくがじょう・仏及び涅槃の境涯を表した語)と聞こえるようであった。粟津(近江の地名*3)の嵐を世の中の生者必滅(この世は無常であるから、生ある者は必ず死ぬということ)と心を静めてありのままを見れば、矢早瀬(矢橋・近江の地名*3)の船も人の身の、会者定離(会う者は必ず離れる定めにあるということ)であると思われる。

 石山(近江の地名*3)の月、三井(近江の地名*3)の鐘、生死長夜(生死を繰り返す迷いの尽きないことを、長い夜の夢にたとえていう語)の夢の世を、悟った人なのか外の方で、鉦の音念仏の声が、たいへん心うたれて聞こえた。
 又平はこれを聞きつけて、庭に下り立った時に、軒下を通る松の風の柴の折戸を開いて、の方を見ると、笈を背負って錫杖をついて、諸国をめぐり歩く修行僧と思しき人が、隙間を空けて囲っている竹垣の葎(むぐら・山野や道ばたに繁茂するつる草の総称)の中にたたずんでいた。
 又平は近づいて言った「今日にかぎって、家族の亡霊をなぐさめようと思っていたら、修行者がいらっしゃるのは幸いです。このように粗末な家でありますが、今夜は我が家に泊まって、夜通し回向して下さい。美味しくはないとは思いますが、この辺の志賀大根、日暮豆(ひぐらしまめ)の粗末な仏事の食事で供養します。ただひたすらに引き留めいたします」と言うと、修行者はちらっと聞いて「それはかたじけない。いまはまだ時刻も八つ(2時~3時頃)を過ぎていないと思うので。石部の報謝宿(神仏への報恩感謝のために旅人や巡礼を無料で泊める宿)までと思っていたが、朝の雲、夕方の霧、一所不在の身の上なので、急ぐ旅でもありません。ことさらに亡くなった人への気持ちとあれば、黙って見過ごせません。そうであれば慈善の施しを受けます」と言うと、又平は「さあさあと向かい入れて、苔の生えた井戸の水で足を洗わせ、八幡円座(丸い敷き物)を敷いて用意して、何かともてなすと、修行者は喜んで「浮世を離れた静かな住まいの様子、慎み深いですね」と言うと、又平は囲炉裏に炭を焚きながら「尾羽打ち枯らした(落ちぶれた)浪人の侘しい住まい。御泊めするのも恥ずかしいです」と言って信楽焼の茶碗に、茶の香りが薄い手で煎じたのを、心ばかりのもてなしにして、四方山(あちこち)の話を様々に入れかわり、立山の地獄ばなし*4、熊野詣での幽霊が逆さまに歩あるく*5など、物語るのを聞きながら、時間を過ごしていたが、ややあって又平は仏壇にお灯明を立て「粗末な仏事の食事を調理している間、ここで御回向をお願いいたします」と言いおいて奥に入って行った。
 修行者は仏壇に向かって鉦を打ち鳴らし「南無幽霊頓證仏果菩提南無あみだ仏南

無あみだ仏」と、一心不乱に唱えいたが、ふと仏壇の中を見ると、白木の位牌に刃誉妙剣信女(にんよみょうけんしんにょ)長禄二年戊寅(ついのえとら)三月五日と記してある。

☆(訳者の注)

*1 吃の又平(どものまたへい)と言われた江戸時代初期の絵師岩佐 又兵衛をモデ      ル にしている。本作の元ネタである近松門左衛門の浄瑠璃「傾城反魂香」の主要人    物でもある。

  岩佐 又兵衛の自画像


*2  これらは地獄である。
  黒闇暗地獄 阿鼻 (あび) 地獄に属する地獄の一。灯明や、

                    父母・長上の物を盗んだ罪人が、その報いを受

                    ける。
  紅蓮地獄  八寒地獄の第七。ここに落ちた者は、寒さのた

                    めに皮膚が破れて血が流れ紅色の蓮の花のように

                    なるという。
  大紅蓮地獄 八寒地獄の第八。極寒のため、身体が裂け破れ

                    赤い蓮はすの花弁 のようになるという。
  叫喚地獄  八熱地獄 (または八大地獄) の第四。殺生・偸

                    盗(ちゅうとう)・邪淫  (じゃいん)・飲酒をした

                    者が落ち、熱湯や猛火の中で苦しめられ、泣きさ

                    けぶ所という。
  大叫喚地獄 八熱地獄の第五。叫喚地獄の下にあり、五戒を

                    破った者が落ちるとされ、呵責(かしゃく)の激し

                    さに大声で泣き叫ぶという。  
    
*3  近江八景 

  画は 歌川広重の『近江八景』【『ウィキペディア』より】
  石山秋月 [いしやま の しゅうげつ] = 石山寺(大津市)


  勢多(瀬田)夕照 [せた の せきしょう] = 瀬田の唐橋(大津市)


  粟津晴嵐 [あわづ の せいらん] = 粟津原(大津市)


  矢橋帰帆 [やばせ の きはん] = 矢橋(草津市)


  三井晩鐘 [みい の ばんしょう] = 三井寺(園城寺)(大津市)


  唐崎夜雨 [からさき の やう] = 唐崎神社(大津市)


  堅田落雁 [かたた の らくがん] = 浮御堂(大津市)


  比良暮雪 [ひら の ぼせつ] = 比良山系


  

*4  立山は地獄の山であるとされていた。日本中の亡者がここに

   集まるので死人と出会えるとも考えられていた。

*5 元ネタの「傾城反魂香」の中に、しばらくぶりに会った男

  (元信)と女(みや)が熊野詣をすると、女が天に足をついて

    逆さまに歩いているのを見て、男は女が 幽霊であるのに気付

    く話がある。
   熊野那智の妙法山 阿弥陀寺は死者の霊魂が詣でるといわれて

     いて阿弥陀寺から本宮へと続く「大雲取越え・小雲取越え」

     の道は、死出の山路」と呼ばれ、道行 人はときに、亡くなっ

     た肉親や知人の霊に出会うことがあると言われている。
   詳しくはこちらを参照。https://www.mikumano.net/setsuwa/moja.html

【図は立命館大学ARC古典籍ポータルデータベース hayBK02-0004 より】 
藤波ならびにうからやから(親族一族)の亡霊、梓の弓にひかれ来る。