
写真は1998年の春から初夏辺りに逗子駅で撮影。現在は富士急行のフジサン特急として活躍するパノラマエクスプレスアルプスとの並びです。(逗子駅もホームの屋根が延長され、現在は景観が異なる。)
113系は大船電車区Y10編成で2・3号車と6・7号車はロングシートのモハユニットとなっていました。ロングシート車の内、2・3号車は特別保全車の1065番、6・7号車は更新車の1070番となっていました。ロングシート車はかつては2階建グリーン車連結編成の2・3号車と6・7号車に連結されていましたが、2階建グリーン車が東海道に転出した後も引き続き同じ号車に連結されており、大船区には比較的遅くまでこのような編成が残りました。
ロングシート連結編成の内、Y10編成は大船区113系の最後の基本編成として残り、車両番号は以下の通り。
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久里浜
①クハ111‐1417(前面強化車だったと思います)
②モハ112‐1065(特別保全車・ロングシート車)
③モハ113‐1065(特別保全車・ロングシート車)
④サロ110‐1234
⑤サロ110‐1221
⑥モハ112‐1070(車体更新車・ロングシート車)
⑦モハ113‐1070(車体更新車・ロングシート車)
⑧サハ111‐1502(大船区に最後まで残ったシートピッチ拡大車)
⑨モハ112‐1170
⑩モハ113‐1170
⑪クハ111‐1135
1号車のクハ1417番は、転出することなく廃車。2・3号車と6・7号車のロングシート車は東海道の国府津区へ転出しその後K57編成に組み込み。4・5号車のサロは幕張区に転出するが、数か月で廃車。8号車のサハは国府津区へ転出しK66編成に組み込み。9・10号車のモハユニットは転出することなく廃車。11号車のクハ1135番は幕張区に転出し、リニューアル改造の上、房総ローカルに転用。幕張区ではS222編成の奇数寄り先頭車で活躍。
特に旧Y10編成のロングシート車を組み込んだ東海道のK57編成は、東海道113系の中でも最後まで残り、末期にはさよならヘッドマークを取りつけて運転しました。大船区でも東海道でも旧Y10編成のロングシート車はしんがりを務めたことになり、横須賀線沿線民としては喜ばしい限りです。

サハ111‐1501のプレート。サハ111‐1500番台のトップナンバーだからなのか、なぜかプレートだけ撮影しています(笑)
大半のサハ111‐1500番台は国府津で生涯を終えていますが、この1501だけ何故か大船から幕張に転出し、1999年の3月か4月頃に廃車となっています。
幕張に転出後は、外幌が取りつけられたそうですが、1998年夏に見た段階では外幌は付けられて無く、廃車予定なのか外されてしまったようです。
さらに幕張在籍時は、様々な編成に組み替えられ、ドアエンジンも原形のまま残っていました。そんな訳で横須賀・総武快速線113系の中で最後までドアエンジンが原形のまま残っていた編成でもあります。
それにしても、このサハ1501番は浮いたような存在で、廃車も早く悲運な車両の一つと言えるかもしれません。

1998年の大船工場一般公開時に運転体験か何かに使われたクハ111。横フナ表記とATCのC表記が懐かしいです。車号は1409番だったと思いますが、田浦駅ドア締め切り案内のステッカーが貼ってあったので、基本編成の先頭車であることは間違いないです。
この年の大船工場一般公開は大船区113系の解体実演が行われており、さらにこの113系も車体の痛みが激しかったので、何だかすっきりしない気持ちで家に帰った記憶があります。
大船区の113系はクハのトイレ上の方向幕が使用停止になっていたり、クロスシート派の自分にとって敵のような存在であるロングシート車が在籍していたりと、マイナスの点が多いように思えてしまいますが、それでも地元に一番近い113系として非常に好きでした。むしろロングシート連結編成を見ると、地元の113系を久々に見た感じになり、2階建編成の面影が残っているような感じにもなり、この編成が来ると落ち着いた気分になれました。
ロングシート車の柔らかい赤い座席は好きでしたし、それが嫌なら他の号車のボックスシート車に行けばいいだけですし、それほど嫌な存在では無かったです。

1997年3月頃に逗子駅で撮影した写真です。JR西日本のジョイフルトレイン旅路を牽引してきた田端運転所EF65‐1023との並びです。
田端運転所のEF65は現在でも在籍していますが、初期タイプのPFはすでに廃車となり、現在では後期に製造された車両が残るのみです。

上写真と同じ日に撮影。JR西日本の旅路が少し顔を覗かせてます。113系と言えば、未更新・灰色Hゴム・前面強化未改造の1000´番台のこの顔に限ります。あの時は当たり前だと思っていましたが、後年になりこの顔の良さがしみじみと解り、つい最近まで残っていた房総の113系にこのような顔がいなかったのは少し残念でした。
いかがでしたでしょうか?写真と解説付きで横須賀線113系を振り返っていきましたが、今回は私の視点での解説が主で、伝えきれていないこともあると思います。
横フナ電車区(フリーページ版)の「あの頃へ」でも少し触れていますので、そちらの方も是非ご覧ください。
また機会があれば、フィルム写真を紹介したいと思います。