こんばんは!



近いうちに、引っ越すことになりました。




東京から離れ、新たな土地で新生活を送ることに。




この決断をするまで、毎日悩みながら、あーでもないこーでもない、を繰り返していました。




ことのキッカケは、長女からの突然の

「学校に行きたくない。転校したい。」という言葉。

突然、大泣きしながら言ったのです。




友達関係での悩みを抱えていたのでした。

わたしにとっては青天の霹靂でした⚡️



いや…少し前からなんとなく予感はしていた気がします。

学校に対して不満やストレスが溜まってるのは感じていたし、環境を変えてあげた方が長女にとっていいんだろうな、となんとなく感じていた。



慌ただしい生活を送りながら、目の前のことややることに追われることで、なんとなく誤魔化してきた気持ちもあったように思う。



頑張り屋さんだから、きっとギリギリまでがんばってきたんだと思う。

で、限界を感じたんだろうな。


体調にも少し影響が出てきていたから、今回は長女の心からのSOSだと思った。

だから、すぐに引っ越そうと決断した。





そして、長女だけでなく、わたし自身ももう限界を感じていたことも気づいていた。



それは、この環境で家族関係を維持すること。



もともと、結婚してからずっと抱えてきたストレスやしんどさがあり…


夫の仕事がとにかく忙しすぎるのだ。

朝は早く、夜も遅い。

週に1日休みがあればいい方。

給料も出ないのに休日出勤することもしょっちゅう。



さらには、ここ数年は単身赴任ベースでの生活を送っていた。

単身赴任が終わって、そこからさらに場所を変えての単身赴任、みたいな。


基本的に、月に1.2日会う程度。


こういって綴ると、きっと他の女性問題があるんでは?と思う人も多いと思う。


ただ、そういう余裕が全くといってないほど、とにかく仕事に追われて忙しい、のが実情。

少しでも時間があれば、寝るか家族に会いにくる程度だ。




あれだけ働いていたら、体を壊して当たり前だと思うし、過労死するんじゃないかと本気で心配してきた。

けど、現実は何も変わらず、逆に責任や負担、仕事量が増えていく日々。

本人も、仕事が好きでそんな環境を受け入れてるから、変わらない。




当然その歪みはそのまま家庭に来て、わたしはずっといわゆるワンオペ。

平日も休日も関係なく、仕事や家事や子供の世話に追われている。


次女が産まれてからは、まともに一緒に生活していた記憶もほとんどない。


核家族で実家も遠方な上に、夫は単身赴任、そして子供は小さい。

あまりに孤独感やストレスを感じていたとき、わたしからSOSを出したこともあったけど、それをちゃんと受け止めてもらった記憶は…残念ながらない。



稼いでいたら、それでいいの?

家族と仕事、どっちが大切?

よくある答えられない質問だけど、わたしも毎日そんな思いを抱えていた。



「仕事が忙しいから」

「仕事だから」


この言葉に、どれだけ我慢をしてきただろう。

どれだけ本当の気持ちを誤魔化しながら過ごしてきただろうか。


夫からしたら、家族を養うために、楽させてあげるために毎日一生懸命働いてる。


頭では理解している。

ただ、それをどこに向ければいいのかわからない感情をずっと抱えている。

だんだんと期待しないこと、割り切ることと同時に心を閉ざしていたような気がする。



だからわたしは、仕事に理解のあるフリをしながら、ひたすら自分自身を満たすことにエネルギーを注いできた。


自分を大切に。

できる限り前向きに。


そのおかげで、だいぶ長い間、心を病まずにそれなりにうまくやってこれたと思う。


すでにキャパオーバーだったのに、なんとか誤魔化し誤魔化しで綱渡りのように乗り越えてきた。


たしかに強くなった部分も多いだろう。

成長した部分は大きいだろう。

学んだことも多いだろう。




ただ…


もう疲れた。

これ以上は無理だと思っていた。




正直に綴ろう。


この1.2年はとくに自分の中で【離婚】という選択肢がリアルになってきていたように思う。


表面的にはうまく家庭を回していたし、夫婦関係もうまくやっていたと思うし、働き方を変えたり、子育てもそれなりに楽しんで、生活は充実していた。


だけど、心のどこか大切なところをずっと見て見ぬふりをするような、蓋をしているような感覚もあった。

どんどん気持ちが冷めていくこと、離れていくことをコントロールできなかった。



夫のことが嫌いなわけではない。

感謝もしている。

なんせもう人生の半分を一緒に過ごしている。


ただ、このままの状況で家族としての関係を維持することはもう難しいな、と感じていた。



1人で抱えず、誰かを頼りたかった。

子育てや生活を通じて、悩みや楽しさを共有して、絆を深めたかった。

幸せな家族の時間を、思い出をもっと持ちたかった。



寂しい、心細い、そんな可愛らしい気持ちで表せる感情ではなく、小さな絶望感とともに【怒り】の感情がわたしの中で大きく渦巻くことが多くなっていった。



子育て

家事

仕事

子供の行事、イベント

習い事の送り迎え、手伝い

親の当番や役割

子供の体調不良、早帰り

夏休みや冬休み、長期休み

小1の壁

小4の壁

コロナ禍での生活、休校、休園

そして、子供のメンタル面のサポート…


挙げられないくらい、親になるとあらゆる面で日々壁を感じるものだ。

それを、すべて母親だけが負担するのはやはり理不尽だ。

せめて心に寄り添ってほしい、と。



このまま子供から手が離れたら、どうなる?

10年後、20年後、どうしてる?

わたしは幸せですか?

なんのために結婚した?



そんな問いかけをしながら、先のことを全く思い描けなくなっていた。

熟年離婚している夫婦の記事を読みながら、共感することがとても多かった。




そこで、長女の「学校に行きたくない。」という一言が、ある意味でいい機会になったように思う。



まずは、引越しすることはすぐに決めた。

環境を変えてあげないと、難しい問題だと判断した。



せっかくなら、子育てしやすく、いまとは全然違う環境に飛び込んでみよう!と思った。



自然に囲まれた暮らし。

海のある暮らし。

のびのびとした環境。

住んでみたいところ。

理想の生活。


↓土地探ししていたとき

あっちいったり、こっち行ったりしながら。





休みがあれば、土地探し、物件探し。


長女にとって、逃げ場があるということ、学校や家庭だけが全てではない、ということを知ってほしいと思って、家族や知り合いに相談しながら動き回っていた。


でも、どこかずっとモヤモヤしていた。


とある物件に、契約を申し込んだ日。

なんか違うかも…と思いながら、でも長女のためにも早く動かなきゃと焦る気持ちと、ひたすら体が疲れ切っていたこともあり、その日の夜はなぜだか涙が溢れて止まらなくなった。



実家に帰り、親を頼りながら子育てするべきなのかもしれない。

これからもわたし1人で子供たちを育ててサポートするのは、もう無理だ。もう嫌だ。

でも、実家に帰ったら、ゆくゆくは別れることになるだろう。

経済的に厳しくなるのも間違いない。



感情的な部分と、現実的なリスクを天秤にかけながら、心も頭もグチャグチャだった。



その夜、夫と電話をしていて、泣きながら別れ話をいいかけた。




だが、肝心の一言は言い留めた。



そのとき、

「やっぱり離れるのではなく、家族一緒に暮らしたい。」

そう思った。



契約しかけた物件はキャンセルして、一から再度考え直すことにした。



そして、次の赴任先から通える距離で、家族みんな揃って暮らせる土地、物件を探すことにした。


また2年後には引っ越すことになると思う。

そういう仕事だから。


けど、なんか腑に落ちた。


これが、子供にとっても、わたしにとっても、夫にとっても、それが一番いい気がした。





こういうとき、気付かされることは案外シンプルなことだ。



子育てで一番大切なことは、

両親が仲良しなこと。


夫婦関係で一番大切なことは、

なんてことない会話をして、笑ったり、触れ合うこと。



相手を変えることはできないけど、

自分のことは変えられるということ。



そして、母親、女性が幸せであることが、ゆくゆくは家族の幸せに繋がること。



引越しの話が進むにつれて、いまは引越しブルーになってるけど(笑)


でも、時間がたって落ち着けば、きっと良い方向に向かっていくと思う。



どんなにいい家に住んで、おしゃれをして、美味しい食事をしても、心が満たされてないとなんの意味もない。


表面だけ飾ったところで、それはフェイクだ。




譲れない部分はある。

ただ、歩み寄ることも必要。



そんなことを思いながら、どうやら先日内覧した物件での引越しが決まりそうな今日、です。





結局、物件探しから手続き関係、子供関係のあれこれ、引越し準備も荷物ほどきもすべてわたしがやらなきゃいけなくなりそうなんだけど…不安



きっとわたしなら、それも乗り越えられることでしょう。



こういう謎にある自信は、ここ数年の生活や出来事を一つ一つ乗り越えてきたからこそ出来た、わたしの宝物。😇(笑)

自分への信頼、ともいえるでしょう。



一つ一つクリアにしていくしかない。




というわけで、長々と綴ってしまいましたが、これから春に向けて、家族として、夫婦として再構築すること、そして子供達にとって新しい環境で新生活を送るべく突き進むことになりました。



さて、どうなることやら。



次女も小学校に入学する、大切なタイミング。

子供たちが毎日笑顔で楽しく学校に通えますように🙏

それがいまは一番の願いです。



長女も今はなんとか休まずに登校しているけど、それは転校するという目標がみえたから。



一度、あえてズル休みをして、姉と遊ぶ日を作ってもらった日があった。

姉は家族の中でも一番繊細な面を持っていて、長女と通じるところも多いのだ。

たくさん話をしてもらった。心も頭もパンパンになっていたときの、大事な休みだったと思う。


でも、その日に休んだことに対してすごく罪悪感を感じたみたいで「やっぱり学校行く。」と。


実家の母も会いにきてくれた。

パート先の人たちにも相談しまくった。

保育園のママにも相談したり。

なんだかんだ、周りを頼りながら子育てしてきてることも実感した。

外で働くことで、気分転換にもなった。



ただ、長女はきっと環境の変化がみえなかったら、学校に行けなくなっていたように思います。

いまもギリギリ、かな。



がんばれ。

でも無理はしないで。

少しでも今日はいいことが学校でありますように。

今日は泣いてないかな。

そんな思いで、日々送り出しています。


出来ることなら代わってあげたいのが親心ですが、これを自分自身で乗り越えて、成長していくのをちゃんと見守りたい。


学校に行く、行かないを判断するのは、やはり本人の気持ち次第。

勉強の遅れはいつでも取り戻せるから。

心が壊れるくらいなら、逃げていいと思う。


そんな日々を葛藤しながら、1日1日を乗り切る娘の姿をいまはひたすら見守るだけ。



ただ、子供達のことを誰よりも信じてる。

きっと乗り越えてくれるはず。


ダメだったら、また一緒に考えよう。



悩んだときは、本に頼るのはいまも変わらずです指差しこの本、よかったよー。



お子さんの不登校にお悩みの親御さんの参考になるかもしれないので、貼っておきます。




それに、この歳になって思うのは、ネガティブな経験こそがいつか財産になる、ということだ。


きっと失恋や裏切りなどもこれから経験するだろう。

困難な出来事も出てくるかもしれない。


けど、そういう経験こそが、いずれ大きな宝物になって自分自身に返ってくるといくこと。


傷ついた人こそ、優しくなれるもの。

苦労した人こそ、強いものだ。




どうかたくましく生きてってほしい。




というわけで。

今日は正直な気持ちを綴らせてもらいました。

頭の整理にもなりました。


おそらく身内でブログを読んでいる方は心配してくれたことでしょう。



わたし目線での記事ではありますが、きっと夫目線で書いたら、また違う事実や捉え方があると思います。

夫は夫で頑張っているし、寂しい思いをしているし、苦労してきているから。


だから、これからは家族みんなで支え合いながらやっていけたらいいな、と。



昨日、お雛様を出しました。




今日はバレンタインデーだったこともすっかり忘れていて、子供達の要望で昨夜あわててチョコスコーンを作り、今日お友達へあげてました。


間に合ってよかった指差し



では、またビックリマーク

ブログはしばらく不定期だと思いますが、みなさんお体に気をつけてお過ごしください。