「愛にひらいてゆく」

「ひらかれたままでいる」

 

 

 

日々色んなことがある中で

難しいこともあるよね。

 

 

 

わたしは無理。

 

 

 

 

混雑した街中で、

約束の時間に遅れそうな時に

前を歩く人たちがのろのろ歩きで行く手を塞ぐとき

 

 

 

 

久しぶりに会う友達が、

楽しいランチの会話のなかで

夢や仕事のビジョンを話すわたしに

そんなのうまくいくわけないよ、と

上手くいかない理由を滔々と話しだすとき

 

 

 

 

怒りや、イライラや、シャットダウンや、悲しみ、

いろいろに反応するわたしがいる。

 

 

 

 

でも、

今日みたいな

雨の土曜日で

誰とも会う必要がなくて

着心地のいい部屋着のままで

ふかふかのクッションと、

i-phone から流れる音楽と、

スパイスの効いたミルクティーと

雨雲と、雨音と、雨のしずくに、すっぽりと包まれていると

 

 

 

 

ようやく

からだが、

ハートが、

 

 

 

 

「ここ」は安全だったんだよね、と思い出す。

 

 

 

 

「ここ」がわたしだった、って。

 

 

 

 

すんばらしい人たちが書いた本を読まなくても

聖地に行かなくても

すんばらしい人たちからなにかを学ばなくても

蓮華座で瞑想しなくても

 

 

 

(もちろん、このどれをしてもいいし、する。)

 

 

 

 

わたしは最高にすんばらしくわたしで、

愛はすでにここにあった、って

 

 

 

 

そして、

愛にひらかれていることを恐れても

いつも自分の声を聞けてなくても

ある面まったくポンコツでも

オッケーなんだよね、って

 

 

 

 

そんなことを思い出し、呼吸が深くなる。

 

 

 

 

生きてここにいることへの、

感謝が湧いて、

溢れ、

流れ出す。

 

 

 

 

そして

わたしは

流れに

身をまかせ

明けわたす。

 

 

 

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