あれから20年 | ピアニスト 大羽洋子の奏でるブログ⭐ 今伝えたい音色をピアノとオリジナル折鶴作品にて〜今音 imane〜
同時多発テロから20年…
2001年は忘れもしない年です。


同時多発テロの約2ヶ月前、NYに住む先輩に会いに初めてアメリカへ✈️

何が忘れもしないかっていうと💡

NYへ行く前はモントリオール→トロントという人生初めての海外ツアーstaff(裏方)参加‼︎
にも関わらず、今でいうパワハラを異国の地でありながら経験しました。

ツアーの間中、本当に辛い思いをして耐えて耐えて、ここ一番の大舞台すら演奏を見せてもらえず裏で楽器ケースやツアー荷物の荷物番になり、独り異国の地で溢れる涙を我慢していたら…
素晴らしい晴天から一転!
急に風が吹いてあっという間に大雨になって、そのBIG bandは演奏中止に!

ある意味で、神風が吹いたのかと思ったほど。


この演奏ツアーに参加する費用を作るために、早朝はコンビニアルバイト、その後は自分のレッスンとカルチャーセンターなどでのPIANO &サックス講師、時には派遣会社で事務のお仕事もこなし、深夜はBIGバンドのスコアを写譜する日もあり、週末は老舗のJAZZライブハウスでアルバイト→コップやお皿を各200枚越えでも洗うなど日本を率いるプロミュージシャンの演奏をたくさん聴く事の出来るお仕事もしてました。
何ヶ月も休まず働いたけど、頑張ってた私スゴイ!
お金がなくてお風呂のない格安物件だったので、銭湯に通って♨️
それを苦労と思った事はないけれど、本当に悔しかったあの日、神様は見ているんだな…

と初めて報われた瞬間でした。

そんな辛いツアーを終えて、何とか乗り継いでアメリカへ🇺🇸
空港に着いた時、一人で本当に心細かった。

時差ぼけもあったけれど今より若かったし見るもの全て新鮮で美術館や↑(上の写真)自由の女神・エンパイアステイトビルも行った事、今となっては本当に良い経験でした。


独立記念日の花火を見て、ニューヨークシティーバレーやブロードウェイは先輩が安いチケットを準備してくれて、本当に勉強しました。

音大にも行ったし、
そうそう
お金がなくて先輩に50ドル💵借金してドレスも買った👗✨

いつかカーネギーホールで演奏出来ますように✨


という記念の1枚📸

その願いは叶えたいけど誰にも言えません。
それでも私、耐え難い事ほんとーーーにたくさんあったけど、この20年本当よくに頑張ったアップ