おはようございます
いつも温かく優しいご縁をいただいていること、感謝しています。
今日もいらして下さりありがとうございます。
昨日は、
いろいろな気持ちや感情を味わった一日でした。
ひとの生死に関わる内容なので、
苦手な方は今日は読まないでくださいね。
池袋の百貨店での
最終日の勤務中に、
母の携帯からの電話が入りました。
勤務時間帯に母が電話してくることはないので、
緊急性が高いことを感じてすぐに対応したら、、、
通話の相手は男性で
救急隊を名乗られて、
こちらの身元の確認の後に
母の状態を話し始めました。
すでに母本人の意識がないこと、
搬送先を探していること、
救命と延命措置はどうするかの質問など
ひとことずつはっきりと
聞き取りやすい速度で話しかけてきて、
ああ、いつか来るその時が、
急に来たものだと思い
ひとつひとつ返答をしました。
しかし、
ひとは
そんな急にはハラはくくれないもの。
今決める事ですよね?
長男の意向も聴きたいのだけど、などと
モタモタなこと言っていたわたし。
冷静になろうとしてても、
自分てこんなに焦るのか。と感じていました。
搬送先の決まり次第電話するので
いつでも出られるようにと
先方が言って通話を終えてから、
会社に連絡して早退の許可をもらい、
売り場の方には撤収の者が夕方には来る旨を伝えて池袋を後にしました。
新宿からは、一番早く着くのが特急あずさ号。
ゆっくり座れるし、ありがたいと思ってあずさに乗車。
池袋の百貨店を出る前に
搬送先が決まった連絡がありました。
新宿駅に着いた時に搬送された病院の医師からの電話もいただいていて、
原因も突き止め、
この場合はいつどうなるかわからない話と、
手術が必要で、
ここには専門医がいないので
いまは手術できる病院を探しているという内容。
次の連絡を待ちながら
あずさに乗りました。
ひとりのおばあさんの生命を救うための
医療現場のスピードの速さと対応には驚きの気持ちと感謝の気持ちでした。
そして、
あずさに乗ってまもなく、
移送先の病院が決まった連絡が。
通話をしたデッキは
騒音がすごくて聴き取りにくく、
病院名を何度言ってもらっても、
その瞬間ガタンガタンという音にかき消されてしまい、
もう一度、もう一度と繰り返すこちらも
だんだん申し訳ない気持ちになっていって、
あちらもより大きな声で言ってくださる訳だし、
4回目になると、
この繰り返しはをもうコントだなぁと思えてきて可笑しくなってきて、、、
「こんな時でもいいじゃん、笑えば。
今こそ笑いが必要かもしれない。」
と思って、
聴き取れた時には笑いながら御礼を伝えるという能天気な変な人になっちゃいました。
深刻な気持ちになればなるほど、
事態もより深刻な方へ進むことは、
経験から学んでいたということもあり、
ここら辺で一回笑っとこう、と
本当に、冷静に思いました。
どうなるかわからない時には
どっちに行って欲しいかだけを考える。
という普遍的な法則を思い出したわけです。
ここで
そうしたら
次にまた笑える事が起こりました。
最初の搬送先の
立川の災害医療センターに向かうつもりであずさに乗りましたが、
次の移送いただく病院名で場所を確認したら、なんと府中。
新宿からは、京王線に乗れば速かった、、、。
というわけで、
立川駅に着くまで停まらないし、諦めて立川まで脱力していました。
ゴールが遠くなって
なかなか到着しないゲームそのものです。
次の着信はタクシーの中で。
医師と名乗る方から
開腹手術でしかいまは助かる手段がないとの説明のあと、それを許可するかどうか聞かれ、
ここまで心臓が停まらず運ばれた母の強い生命力を思えば、
この魂はまだ今世に居るつもりだろうから手術も乗り越えるはずであろう、84の高齢でも、と思い、手術に同意しました。
と、同時に
病院の正面玄関に到着ゴールイン
手術室に入る母の顔を見られました。
なんと、意識があり、
こちらを見て、
『背中が痛い』
ってはっきり訴えて来ました。
ここでホッとしました。
いつも通りだ、と。
手術の間、家族待合室にいると、
二女が到着(早退できた)。
次に長女も到着(仕事が2人で参加の総会&パーティーだったのでひとりは抜けて大丈夫だったらしい)。
およそ2時間の手術のあと
術後の母の面会は3名までということで、
3人で母の顔を見て、
医師からの説明を聴いて来ました。
最悪の状況でしたが
間に合ってよかったです、ということでした。
あらためてひっ迫した症状だったのだとわかり、
本人の生命力とか運の良さとかもあるでしょうけど、
周りの方全てにただもう神を見た、それに救われたのだ、というような気持ちです。
病院を出る時に、正面玄関に立って受付を探す弟夫婦の姿が
母にとって大切な長男である彼は、
わたし以上にゴールが遠かったのです。
まず、連絡がつかない
というところから。
彼は持病の通風の受診日だったそうで、
医療機関にいたとしても
着信にも気づかないのはなぜか
やっと連絡がついて、
こちらに向かうも事故渋滞の首都高で2時間足止めで、
やっとゴールインした時は、
さあ帰るよという時でした。
本当にご苦労様なことでした。
そのあと
三女(仕事はお休みだった)も合流。
揃ったところで
簡単な家族会議を開いて
全員で晩御飯食べに行って解散となり、
激動の一日を終えました。
昨日の出来事を
思いながら、
今朝のマヤ暦の越川先生のメルマガを
読んでいたら、、、
さてK26 白い世界の橋渡し 白い魔法使い 音13です。
「相手の話にじっくり耳を傾けると、安心感と信頼感が生まれ、心
とくに身近な関係であればあるほど、このような感覚を覚えるまで
この言葉が心に沁み入ってきました。
身近であるほど
わかって欲しい気持ちになり、
言わなくてもわかってよ。と思いがちです。
ほんと、そう。
自分がそう思って来ていたから。
言ってもどうせわかってもらえない。
そんな気持ちもあったから
余計に伝えることを諦めたんだけど、、、
まず耳を傾けること。
そうすると相手もそうなってくるのが、これも法則。
安心感と信頼感を持ち
心の架け橋を作って、
幸せに生きていくことは
自分でやれるシンプルなことから。
この頃は
すっかりもう冬の寒さですね。
温かくして今日も良い一日をお過ごしください
アラカン
リノベーションマンション暮らし
難病アラサー娘と猫と同居。
こちらのブログでは、
日常生活のことと
50〜60歳の人生転換期に
ワクワクと安心を持って生きる秘訣を
同年代の方々とシェアできるといいなと思っています。
お仕事は、
pop-up storeの販売スタッフ。
コーチングを学んでいる
マヤ暦アドバイザーです。
マヤ暦は人生の羅針盤。
自分として生きる喜びを感じるアイテム。
あなたはあなたのままでいい。と、そっと寄り添って力づけてくれ、味方、サポーターになってくれるもの。
マヤ人たちは17種類の暦を使い分け、支配者の存在無しに、ひとりひとりの能力に合った役割りを果たし社会を循環させ平和に暮らしていたと言われます。
マヤ暦セッションでは、神官が使った神聖暦(ツォルキン暦)を使います。
西暦の生年月日から生まれた日に相応するKIN(日)を調べ、紋章と銀河の音を読み解きます。
生命エネルギーの活力を上げるためにお役に立ちます。
暮らし方
働き方
人間関係
モノとの付き合い
親との付き合い
いろいろな変化が起こるこの年代。
穏やかに軽やかに楽しく、
自分ならではの幸せな人生を
これからも創っていきたい。
そんな願いを持っている仲間の皆さんと繋がりたいと思っています。