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どこでも生きていける自信が育まれる!おうちグローバル教育

お母さまが、お子さまの「どこでも生きていける自信」をご家庭で育めるようになります。
日本の学校と海外のインターナショナルスクール経験者がしっかり伝える、ゼロから始める 一生モノの おうちグローバル教育

こんにちは!

日本の学校と
海外のインターナショナルスクール経験者が
しっかり伝える

ゼロから始める 一生モノの 
おうちグローバル教育アドバイザー

野並洋子です。


小学校低学年の女の子のお母さまに向けて

お母さまが
1日10分この教育プログラムを実施するだけで

お子さまに
「世界の人と 自分らしく 
どこでも生きていける自信」が育まれる秘訣を
惜しみなくお伝えしていきます!



まずは、私のプロフィールから
お話していこうと思います^ ^
(長文です…(^_-)



【やりたいことをやっていた子供の頃】
父の仕事の関係でシドニーで生まれ、
3歳の時に日本に帰国

バレエやフルートで、
体や音楽を通して表現するのが大好きで、力を注ぎ
ボーっとゆったりするのも好きな子でした。

学校の勉強は、隙間時間にやるだけで
あまり興味はなく
授業中に先生に当てられても全然発言できず
発言や文章を書くことなどの
言語化がとても苦手・・・

でも、両親は「勉強しなさい」と
一度も言ったことはなく
私のやりたいことをいつも笑顔で、
応援、サポートしてくれていました。



【反抗期突入、やる気皆無へ】
14歳の時、父の仕事の関係で
ジャカルタに引越すことになり
それまで自分で選択して
やりたいことをやってきましたが
初めて自分の意思と反したことだったので
一気に反抗期に突入してしまいました。

英語の塾の初日、母と私が先生に挨拶に行った際
インターナショナルスクールの受験に向けて
先生から告げられたことは

「受験までの2ヶ月間で
最低限日本の中学・高校の内容をマスターして
エッセイを書けるようにしなければならない」と
いうことでした。

その瞬間感じたことは・・・

1)無謀だ
2)仕方なく引越してきたのに、
なんで私がそんなことしないといけないのか?

やる気を完全になくしました。。。



【やる気スイッチON!】
でも、その直後、先生は母にこう言いました

「インターナショナルスクールに入れたら
自然に英語ができるようになると思ったら 
大間違いよ!
受験も入学してからも子供がどれだけ大変か
全然分かってない!
受験までお母さまもここに通って
子供と同じ勉強をしてください!」

その光景にとてもびっくりしましたが、
先生のこの一言のおかげで、
この先生についてやっていこう!と
やる気のスイッチが一気に入り、
気持ちを切り替え、猛勉強し、
なんとか無事に合格できました。



【人生最大の挫折】
ホッとしたのもつかの間
インターナショナルスクールに入学後は
もっと過酷な毎日が始まりました。

先生や世界の50ヶ国以上から来た周りの人達が
話していることが全く分からず
自分の伝えたいことも伝えられず・・・
とんでもない所に入学してしまったことに
気づきました。

英語はできない
授業についていけない
最初の成績は、約300人中290番台
私には何にもない・・・
なぜ日本人に生まれてきたのだろう・・・
卒業なんて夢のまた夢ではないだろうか・・・?

その時の状況を例えていうならば
壮大なジャングルに
何の準備もなく無謀にも飛び込んでしまい
様々な得体の知れない動物たちに囲まれて
出口への方向も道も分からず
何が起こるかも予測不可能で
ゼロから道を切り開いていくようなもので・・・

まさに人生最大の挫折でした。



【英語力が足りないから??】
この状態から抜け出すには、
まずは英語力だ!と思い
最初の3ヶ月くらいは
睡眠時間1〜2時間で毎晩膨大な量の宿題と葛藤しつつ
英語の勉強に取り組みました。
涙が勝手にしたたり落ちてくるのを拭いながら・・・



【英語力よりも大切なことがあった!】
4ヶ月を過ぎた頃
ふと先生や周りの人達が話していることを
そんなに集中しなくても
理解できている自分に気づきました。

それと同時に、
入学当初よりも格段に英語力がついたことを
実感したのにも関わらず
相変わらず授業に参加できず
宿題もなかなか進まない自分にも気づきました。

あれ?なぜだろう?
どうすればいいのだろう?

当初は、英語力が足りないから、
英語力をつければ大丈夫だ!と思い
取り組んできましたが・・・
私がつまずいていた根本原因と改善策に
ようやく気づきました。

授業でも宿題でも
「どう思うか?」を問われることが多く
それまで日本では勉強といえば
教科書を暗記するのが中心だった私にとって
当初は、「どうも思わない」
つまり、考えていませんでした。

英語力はもちろん必要ですが
それは伝える内容があって初めて生きるのであって
いくら英語ができても
伝える内容がなければ、英語を活用できない
英語は単なる「ツール」ということを
身をもって痛感しました。



【挫折から自信へ】
その後、毎日の授業でも宿題でも
その時その時で自分なりに最大限考え、
取り組み続けました。

その結果、ふと気づいたら・・・

授業ではディスカッションやプレゼンも
躊躇なく参加できるようになっていたり、
宿題のエッセイも
スラスラ書けるようになっていたり、
成績がトップ10に入っていたり、
フルートは学校や海外遠征を通して
様々な国の方達と交流を深めていたり・・・と

いつの間にか充実感と達成感に満ち溢れた
楽しい学校生活を送り
留年することなく無事に卒業式を
迎えることができていました。

その瞬間、思ったことは
「私は、何があっても乗り越えられるし、
私らしくどこでも生きていける!」



【進路変更して社会学を学べる大学へ】
音大卒の母の影響もあり
音楽に囲まれ、
絶対音感やリズム感、表現力などの
基礎を築きながら育ち
フルートで音大に進む予定でしたが・・・

インターナショナルスクールで
日本では嫌いだった「社会」の授業の面白さに気づき
将来は、「世の中の問題解決をしていきたい!」
そのために基礎の「社会学」を学びたい、と思い
急遽進路を変更しました。

学びたい教授が最も多く在籍し、
少人数の生徒に限定して力を注いでいた
立教大学社会学部社会学科を第一志望にして入学し
社会学や心理学を学びながら、
サークルやアルバイトなど・・・
ザ・日本の大学生活を思う存分満喫しました!



【社会人へ】
インターナショナルスクールと大学を経て
まず最初に解決していきたい、
必要不可欠と思ったことは
「日本の教育」でした。

もし日本がこのままの教育を続けていったら
将来、日本は世界から取り残されてしまうと
痛感しましたし
インターナショナルスクールでの教育が
その後の私の人生に大いに役立ったからです。

日本の子供達に、
世界の人と自分らしくどこでも生きていける力を
育むことが大切、と気づいていながらも
実際にインターナショナルスクールに通わなければ
その力を育むのは難しいのではないだろうか?と思い、
なかなか活動できず
大学卒業後はメガバンクで働き始めました。

数学やお金も好きで
世の中のお金の流れを知りたかったからです。

さらに、
それまで関わってきた先生で、
魅力を感じていた先生に共通していたのが

大学卒業後すぐに先生になった先生よりも
社会人経験を経て先生になった方々だったため

大学卒業後すぐに教育に携わらなくても
一般企業で働くことも
将来必ずプラスになると思ったからです。

働きながら日本の教育の解決策を模索していこうと
社会人生活を始めました。

しかし、日々の銀行業務に追われるうちに
いつしか当初の想いを忘れてしまい・・・
外資系銀行に転職までして、
銀行業務に力を注いでしまっていました。

ふと、このまま銀行員として人生を終えるのは違う
やり残したことがあることに気づき
再び、日本の教育のために何ができるだろうか?
考え始めました。


【想いを形に】
インターナショナルスクールに通わなくても、
日本の学校に通いながらも
生きていくために大切な力を身につけられる方法は
ないのだろうか?
自問して考えぬいた末に、開発しました!

いつまでも親が生きて
お子様にサポートできるわけではないので・・・

今後の予想できない世の中において
グローバル社会において
お子様に対して
「何があっても乗り越え、
どこでも生きていける強さを持ってほしい!」と
願うお母様を応援する・・・

「世界の人と 自分らしく 
どこでも生きていける自信」を育む
ゼロからわかる、一生モノの、おうちでできる
グローバル教育をお伝えする活動を開始しました!

これまで携わってくださった先生方や周りの方々
そして両親への恩返しの想いを込めながら

将来、何があっても乗り越えられる
世界の人と自分らしく
どこでも生きていける子供達が育まれる世の中を願い

私のこれまでの知識と経験を惜しみなくお伝えしていき
より良い日本の未来に貢献していこうと思っております。