ご訪問、ありがとうございます。

 

今回は、私がこのブログをはじめた理由について、熱く語ります。

 

長文で個人的な話を書きます。

苦手な方はこちらの軽めな記事を読んで下さい。

 

友野一希選手のファンになったキッカケ① | フィギュアスケーター友野一希選手の応援日記 (ameblo.jp)

 

さて、行きますよ。覚悟は良いですか(笑)

ここからは文字だけです。

 

友野一希選手のことを知った時、私はストレスまみれでした。

 

どのくらいストレスを感じていたかというと、

会社帰り、自宅最寄駅の階段をのぼりながら

「家に帰るのが怖い」と毎日思っていました。

 

会社員なら楽しいはずの金曜日の夜も、

土日、家族と過ごすことを考えると、とにかく怖かった。

 

家族に問題があった訳ではありません。

 

仕事が忙しくて平日はあまり家にいないけれど、基本的に優しい夫。

 

元気な子供たち。

 

新卒の時に入社した会社に復職し、育児しながらの仕事に理解のある職場。

 

きっと周りからは、

何もかも手に入れ、幸せで充実した毎日を送っている人に見えたでしょう。

 

しかし、私の心の中は、毎日ものすごくイライラしていました。

 

会社では、「子どもがいながら仕事していて迷惑かけて、すみません」

保育園では、「仕事をしていて日中の育児をお願いして、すみません」

そして家では、「家事・育児をまともにせず、仕事をしていて、すみません」

毎日毎日、誰かに謝っているような生活をしている自分が大嫌いでした。

 

常に周りから責められている気がしていました。

 

会社でも保育園でも家でも、誰も私に「謝れ!」と言う人などいません。

 

でも、なぜか常に誰かに申し訳ない、と思ってしまい、

自分は周りに謝りながら生きている、ダメな人間なんだと否定していました。

 

そんなストレスが向かう先は、子どもたちでした。

 

朝、起きてから保育園に向かうまでの2時間。

夜、保育園から帰宅して寝るまでの2時間。

 

平日は、たった4時間しか子どもと一緒にいないのに、

毎日必ず怒っていました。

 

「子どもが小さい時なんて怒ってばかりなのは、当然」と思われるかもしれません。

 

でも、私が子どもを怒る時は、普通のお母さんが怒るような怒り方ではありませんでした。

 

道行く人が思わず振り返るくらい、大声で怒っていました。

怒りが我慢できなくて、爆発してしまうのです。

 

最近では、外で大声で怒る親御さんはあまりいないように感じます。

私のような母親は目立っていたのでしょう。

何度か、公園で見知らぬお母さんに気遣っていただいたり、

児童センターの職員さんに心配されたりしていました。

 

子どもはかわいいけれど、自分のストレスの扱い方が分からない…

そんな日々が何年も続きました。

 

1時間が半日のように感じ、

1週間が1ヵ月のように感じるほど、長い時間でした。

 

「このままでは子供たちに悪い影響しか与えない」

「何とか普通のお母さんにならないと」

自分を変えようと焦って、育児書を何十冊も読んだり、保健師さんに相談したり、

ネットで探してコーチングを受けたりしました。

 

毎日、子どもと自分が無事に生き抜くだけで必死でした。

 

子どもたちが小学生になって、ほんの少し私の精神状態も余裕が出てきた頃、

Yahoo!ニュースの記事から興味をもち、友野選手の2022年世界選手権の演技を見ていたら、

いつの間にか深夜のリビングで泣いていました。

 

それまでフィギュアスケートの演技を最初から最後まで見たことはありませんでした。

 

「ニューシネマパラダイス」では、

なぜか、今まで苦しみ、もがきながらでも、何とか過ごしてきたことを

「がんばったね」と認めてもらえたような気持ちになりました。

 

「ラ・ラ・ランド」では、

演技終盤、満面の笑顔で本当に楽しそうに滑る姿を見て、

「明日はもしかしたら良いことがあるかもしれない。もうちょっと前を向いて過ごしてみようかな」と

自然に思えました。

 

もちろん、友野選手の存在を知ったこと以外にも、

色々な要因が積み重なって私は健康な心を取り戻したのだと思います。

 

しかし、友野選手の演技を見たことは、とても大きな変化のきっかけでした。

 

「ひと言も言葉を話さないのに、こんなに色んな感情にさせてくれるスケートってすごい!」

と驚きました。

 

取材記事やアイスショーの情報を見て、

フィギュアスケートという新しい世界を知るのを楽しんでいた時が過ぎた頃、

友野選手にある転機が起こりました。

 

それまで所属していた会社とのスポンサー契約が終了したのです。

素人の私でも、大きな変化であることは良くわかりました。

 

「私には何もできない。でも、だからと言って、何もしないということはできない」と

妙な正義感にかられて当時のtwitterで友野選手のファンを名乗り始めました。

 

その後、友野選手はご自身の力で競技をサポートしてくださる会社を何社も獲得し、

競技を続けています。

 

個人的な事情でほとんど現地で見ることはできなくても、

友野選手が表現する世界にひかれる気持ちは、初めて演技を見た日から全く色あせることはありませんでした。

 

楽しい、優しい、あたたかい、ワクワクする、切ない、希望…色々な気持ちを

友野選手の演技を見ていると感じることができるのです。

 

文字数の制限なく、友野選手のことを語りたい。

本当に自分が書きたいことを書いてみたい。

長くなりましたが、この2つがアメブロを始めた理由です。

 

時々、気が向いたときに読んで下さると嬉しいです。

 

長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。