昨日はメインコンテンツであるラーメン屋さんの紹介をさせていただきました。
やっぱりラーメンは自分のソウルフードなので定期的に紹介したいですね。
まあ酒もおばんざいも肉もマイソウルなんですけどね(笑)


ちなみに昨日紹介したラーメン屋さん「キラメキノトリ」ですが、場所は河原町丸太町ということで、近所には京都御所があります。

京都御所ももちろん素晴らしいですし、京都検定でも問題は頻出なわけですが、
今回は「平安京」の範囲から、3級にてかなりの確率で出る問題のお話です。


そもそも平安京は現在に置き換えるとどの場所にあったのでしょう??
これは3級で出るというわけではありませんので予備知識間隔で捉えてくださいませ。

まず一番北の通り。これは当時「一条大路」と呼ばれた道です。
現在で言うところの「一条通り」です。非常にわかり易いですね。

続いて南の通り。これは当時「九条大路」と呼ばれた道です。
すなわち現在の「九条通り」です。

そして東は当時「東京極大路
西は当時「西京極大路」と呼ばれた道です。

ん?西京極??
そう、今も阪急「西京極駅」や「西京極総合運動公園」等で名前が残っています。

東京極は今これといった名残もありませんが、大体寺町通辺りがそれにあたるようです。


さて、平安京の分野から結構な確率で出る内容の話に移ろうと思います。


今回は単語の説明をする手法にてご紹介させていただきます。


桓武天皇

平安京に都を移した際の天皇です。

長安城
中国のお城です。平安京はこの長安城をモデルとして造られました。
ですが、大きさとしては平安京は長安城のわずか3分の1です。
まあ元々の国土面積が全然違いますから仕方ないですけどね

朱雀大路
平安京を右京・左京に分ける大きな通りです。
今だと千本通にあたる場所にあった大路です。

条坊制
平安京を造った際の碁盤目状の都市区画のことを言います。
今もなお京都の通りは碁盤の目と表現されることが多く、間違った道を右折したとしても目的地にたどり着きやすい構造になっています。

3級でよく出題されるのはこのあたりです。
ちなみに2級では初代造夫の藤原小黒麻呂の名前もちょくちょく出てきます
次回は「聚楽第」についてお話いたします。