身の軽い武将と一途な白拍子の物語

 

作  谷よっくる

原案協力 万里子

 

 

第一章 出逢い

 

私は、京丹後の小さな村で生まれた。

舞をしていた母親の見よう見まねで舞うことを覚え、舞が好きになり、毎日毎日、明けても暮れても舞う練習をしていた。

幼女が舞うのはかわいいもので、村人たちはみな喜んでくれた。

お礼に畑でとれた野菜をくれる人もいた。

決して裕福ではない家庭の支えになり、自分が役立っている気がして、嬉しかった。

 

年頃になった頃に、村で縁談をすすめられた。

当時は親が嫁ぎ先を探してくる時代。

結婚する年齢も若かった。

村で結婚したら、一生畑仕事をしなければならない。

それは嫌だ。

そう心が叫んでいた。

 

そして、白拍子になった。

自分の出自(しゅつじ)も捨てて。

 

白拍子の舞はあちこちで人気があり、旅芸人の一座に入って、あちこちで舞を披露する日々は幸せだった。

 

そして、ある日、あの方(かた)に出会った。

 

その年は日照りが長く続き、収穫が激減、たべるものがなくなり、飢え死にするものが続出した。

源平の長い合戦に天が怒り、雨を降らせないのだとも言われた。

朝廷は一計を案じ、神泉苑(しんせんえん)で雨乞いの祈祷をすることとなった。

その昔、同じように日照りで人々が苦しんだ際に、朝廷が空海に命じて雨乞いの祈祷をさせ、見事に雨が降ったことがあった。

その場所が神泉苑だった。

その先例にならったのだった。

 

しかし、百人の僧が祈祷しても、雨は降らなかった。

そこで今度は白拍子百人に雨乞いの舞を舞わせることになった。

99人が舞っても、空に何の変化も現れなかったが、百人目に私の番になり、

どうなることかと不安だったが、いざ無心に舞うと、それは天を動かす祈りとなり、

たちまち龍神のような雨雲が現れ、大雨を降らせた。

 

このことがあって、私は朝廷からもご褒美をいただき、雨を降らせた白拍子として、

あちこちに呼ばれるようになった。

そんなある日、あの方の住まう屋敷に招かれたのだった。

 

あの方は、私の白拍子の舞を見つめていたが、やおら、笛を取り出し、吹き始めた。

あの方の奏でる笛を聴いていると、私の身体が勝手に動き出した。

いつもと違う、即興の舞。

なんだろう、この感覚は。

まるで水を得た魚のように、音と一体になる。

たぶん、前世から私はあの人を知っている。

そんな感覚。

 

舞のあと、お酌をしながら、あの人の話を聞いた。

戦さで父親を失い、母親とも引き離されて育ったこと。

子供の頃、鞍馬山を駆け回り、山猿と呼ばれたこと。

敵の目から逃れるため、京を離れ、北の国に逃れたこと。

 

少年の頃の波瀾万丈な人生を語る彼の方のまなざしは無垢な少年のようで、私はその瞳に惚れたのだった。

そのお話はとてもひと夜で語り尽くせるものではなく、その夜はお開きとなり、

あの方は私を気に入ってくれたのか、たびたび私を屋敷に呼んでくださるようになった。

 

そして、私たちは何度も逢瀬を楽しむようになった。

若い男女がむつみあうのは自然な流れだった。

そうして、私はあの方の女になった。

 

あとから思えば、それが悲しい恋の始まりだったのだけれど、そんな運命を想像すらしていなかった。

 

 

第二章 別れ

 

あの方は、合戦で武功を立て続けた功績で朝廷に信頼され、朝廷の役人として昇進した。

だが一方で、朝廷に評価されればされるほど、遠くにいる兄との仲は悪化するばかり。

遠くにいる兄に想いが通じないと、日に日に酒量が増えていくあの方のそばにいて、私の心にも少しずつ不安が広がっていった。

 

将来に対する漠然とした不安。

嵐の予感。

なぜ、このままではいられぬのか。

 

そして、ある日、ついに

 

「兄に直接会って、話し合ってくる!」

 

と、あの方は従者を数名連れただけで、家を出て行った。

 

(話し合えばわかりあえる。だって兄弟なのだから。)

 

そう思って行った腰越(こしごえ)の地で、あの方は足止めをされ、鎌倉に入ることを許されなかった。

 

あの方の失意は深かった。

朝廷に気に入られたことが鎌倉の兄上には許せなかったのだろうと、あの方は言われていた。

あの方にとっては朝廷も鎌倉も自分が仕えるべき主君。

どちらかを選ぶなんてできない。

 

そして、ついにその日が来た。

あの方を逆賊として追討する命令が、なんと朝廷より下されたのだ。

信じていた朝廷に裏切られたあの方の絶望はいかばかりだっただろう。

あの方は京の都を離れることを決意し、

私もどこまでもともに参りたいと駄々をこね、旅をお供した。

しかし、その頃、身重になっていた私は足手纏いにしかならず、吉野の山で別れることになった。

 

ああ、しずやしず、なんじをいかんせん。

 

そう言って、あの方は泣いてくれた。

私はあの方の足手纏(あしでまと)いになるくらいなら、自害してもいいと思っていたが、お腹の子のことを思うとそれもできない。

 

もう、いいんです。あなた。

必ず逃げのびてください。

いつかきっと会えますように。

 

そう言って、あの方を見送った。

 

 

第三章 舞ひとすじ

 

そのあと、すぐに追っ手に捕らえられ、私は鎌倉に送られた。

鎌倉ではあの方は逆賊扱い。

私もその近親者として処罰を受けることになり、その前に白拍子の舞を鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に奉納するよう命じられた。

客席には、あの方の兄夫婦やご家臣たちがおり、まさに四面楚歌の中、私の舞は鎌倉の人々を驚かせたのだった。

そして、あの方の兄の奥方は私を気に入ってくださり、自宅に招いて舞を舞わせてくださった。

奥方のかわいい娘さんも私の舞を観て、涙を浮かべていた。

 

私はみずからの舞でその後の運命を切り開くことができた。

出産した子は残念ながら男子だったため、取り上げられ、処分されてしまった。

長じたときに復讐の刃を向けられるのを恐れてのことだというけれど、戦乱の世の

なんとつらいことか。

私は失意のまま、京都へと送り返された。

 

 

 

私にはあの方の無事を祈ることしかできなかった。

自分はどうなってもよい。

あの方がどうか無事でありますように、と。

 

あるとき、朝廷に極秘に招かれて舞を披露した際、朝廷からあの方の消息を耳打ちされた。

北方にある平泉にて匿(かくま)われていると。

 

あの方の話で聞いた、少年時代を過ごした地である平泉で、あの方は生きている。

 

私の前に明るい光が差した。

 

あの方がまだ生きている。

それだけで涙があふれ、とまらなかった。

 

となれば、私もこうしてはいられない。

あの方が生きているうちに、もう一度、ひと目だけでも会いたい。

もう一度、あのやさしい瞳を見つめたい。

そして、あの腕に抱かれたい。

 

目の前に生きる目的を見出した私は、北の国への旅路に出ようと思った。

だが、女の一人旅は危険をともなう。

信頼できる伴がいなければ無理だろう。

そう思い悩んでいると、ある尼院からお呼びがかかった。

 

伺うとたいそう美しい気品のある比丘尼(びくに)に出迎えられた。

舞のあと、話をするうちに、このお方も数奇な運命をたどられたことがわかり、胸が痛んだ。

お互いの正体は明かさずとも、目と目でわかる。かつて自分たちは敵味方に分かれて戦っていたのだと。

 

私があの方のあとを追いたいが、どうすればよいかわからないと話すと、このお方は

 

「わたくしがあなたの旅路を手伝って差し上げましょう。」

と言って、旅のともをつけてくれるという。

他に頼るものもなく、私はその手におすがりするしかなかった。

 

このお方は言った。

 

「女というものはいくさの中では無力です。

自分の子を守ることもかなわず、こうして生きながらえているのは、亡くなった方々の菩提をとむらうためのみ。

これからは戦乱の世もなくなり、愛しい人の子を産み、育て、立派に成長するのを見守る。そんな世の中であってほしい。」

 

それが、このお方の祈りであり、願いなのだなと、そう思った。

 

お供を得て始めた旅は、やはり過酷なもので、思うように足が進まず、自分の足ののろさに腹が立つ有り様だった。

 

それでも、ところどころ立ち寄る村で

神社に舞を奉納するとたいそう喜ばれた。

村人ばかりでなく、そこに祀られている土地神さまからも

 

 ありがとう

 

というお言葉をいただくのは、なにより嬉しかった。

 

もしかしたら、この舞による祈りの旅にこそ、意味があるのかもしれない。

そう思うようにもなった。

 

戦乱なき世を願う。

それは万人(ばんにん)の願い。

あの方はそのために奔走し、命がけで戦の世を終わらせた。

その結果が没落だったとしても、その人生には大きな意味、役割があった。

あの方がいなければ、まだまだ戦の世は続いていたかもしれない。

 

旅を続けるうちに、あの方に会いたいという執着のような思いはだんだんと落ち着き、

私はとある村里の庵(いおり)に安住の地を得たのだった。