鬼滅の刃 劇場版より学んだこと。
(ネタバレあり。未視聴勢はスルーすることを
オススメします。)
前半パートは、しのぶさんと上弦のニの鬼との死闘。
後半パートは、炭治郎、義勇と上弦の三の鬼、
猗窩座との死闘。
猗窩座がなぜ鬼になったのかが明かされる。
猗窩座を観ていると、犯罪者に対する赦しの物語を観ているような感じがする。
人を大勢殺した。
だが、本人が殺人狂だったわけではない。
社会の理不尽に追い詰められて、そうなった。
たぶん、世の中の犯罪者の多くはそうなんだろう。
神様が一人ひとりの人生に寄り添うなら、
涙なしには見れないような理不尽さを経験して、
犯罪に走らざるを得ないのではないだろうか。
自分が犯罪者でないのは、運がよかっただけで。
ほんの少しの違いなのかもしれない。
猗窩座を赦すのは、最後は恋人の受け入れる愛。
どんなに刀で斬っても、消滅しなかった。
だが、恋人の霊に抱きしめられたとき、
猗窩座は鬼として、存在し続ける理由がなくなった。
だから、鬼としては滅びた。
肉体は滅んでも、魂は生き続ける。
その魂は、天国にいっしょには行けない。
それは因果応報の摂理があるから、
逃れられないさだめ。
でも、救いはある。
永遠のいのちだから、猗窩座が人間の魂として、反省のときを過ごせば、いつかきっと、また会える。