父は、2014年1月に他界した。


お葬式で、南無阿弥陀仏の意味を檀家のお寺(浄土宗)のお坊さん(私と同世代)が教えてくれた。


南無はお願いするという意味で、

阿弥陀仏に故人が天国に導かれるようにお願いするという意味がある。


四十九日は故人の魂がこの世の知人に別れを告げ、あの世(霊界、天国)に旅立つ準備期間。
この間は毎日、南無阿弥陀仏と唱えてあげて下さいという話。


阿弥陀仏は西洋なら天使、キリスト教徒ならイエス様やマリア様、祈りの対象は人によってさまざまでよいと思う。



父は予科練兵学校に入り、飛行機乗りの訓練を受けている最中に戦争が終わった。
もう一年早く生まれていれば、特攻隊として散っていたかもしれない。
もしそうなら、私もこの世に生まれていない。


父は若い頃、病弱だったが、生長の家を信仰して助かったことがあり、そこで、スピリチュアルな価値観を学んでいた。

私もその影響を大きく受けた。


私は無宗教だが、スピリチュアルな価値観は学んできたので、それを物語に込めて出版したり、朗読ライブしたりしている。


今日、父の話をすると、天国にいる父にその想いは届くのではないかと思う。
天国は目に見えない世界だが、心の中はその世界に続いているようだ。
ふだんは感じることはないが、たまに感じることがある。
目に見えない世界には目に見えない真実がある。それをこれからも探求し、皆さんにもシェアしていきたい。
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