訃報と出産報告が飛び交う日々。
そのたびに、
死は忌むべき痛ましいこと、
生まれることは喜ばしいこと、
と頭の中で整理される。

神様の視点は、
そのひとの魂を見てるから、
どちらも喜び。

生と死が喜びだとすると、
老いや病はどうなんだろ。

老いにより
身体の自由が
だんだんきかなくなるのは
さびしい思いがするけど、
知恵は深まっていくようにも
思う。

物忘れが多くなるのは、
いやなこともすぐに忘れる
ということ。
心の回復力がついたということ。

若いときは、記憶力がよい分、
つまらぬことでいつまでも
くよくよしたりしていたなあ。

そう考えると
忘れっぽくなるのも
ギフトだよね(^^)

病気はできれば避けたいが、
肺炎で三週間、自宅治療して、
当たり前の中に奇跡があるのを
体感した。

人間という存在そのものが
奇跡。
人間の身体の構造を体感して、
なんて精巧な肉体を
神様はお造りになったんだろうと実感。

こんな精巧なものが
毎日動いている不思議。
ロボットなんてもんじゃない。

呼吸器系がイカれても
消化器系は元気という不思議。

息が苦しくても
ご飯はおいしい。

身体は毎瞬、生きようと働いてる。
本人が死にたいと思っていたとしても、
身体は生きるのをやめない。

これこそ、神の与えたもうた仕組み。

私たちの毎日は
奇跡のうえに成り立っている。

そう感じられたら、
病も大きな学びだったなあと思う。

生老病死が喜びだと悟れば、
もうなにも怖くないんじゃない?

よっくる