①で終わると悲しいので、②も書いておこう。
これは今朝、ゴミ出しに外出したときに降りてきたものです。
・・・
感謝を日常とするのは、簡単なようで難しいじゃろう。
浮世に生きているとな、やなこともいろいろあるじゃろう。
人はな、よいことがあっても悪いことの方を覚えてしまうものじゃから、この世の悪い面ばかりを見て、憂う(うれうんじゃ)。
浮世は憂き世じゃからの。
例えば金貸しが商売の人がおるじゃろう。
その人は金貸しが好きなわけではないが、生活するために仕方なくやっておるんじゃ。
今日も一件取り立てがある。
ああ、嫌じゃなあ。
どうせ返せないと渋るじゃろうから、また、おれは鬼の心で取り立てをせんならん。
誰も鬼になどやりたくはないが、それをしないとかかあや小さいわらしに飯を食わせてやれん。
家族のためにもおれは鬼になる。
そう思うと憂鬱になるじゃろう。
心が感謝の方には向かないじゃろう。
だがのう、そんな人にも太陽の光はさんさんと降り注ぐのじゃ。
分け隔てすることなく、のう。
分け隔てのない心がまことの愛の心じゃ。
人がそのこころを持つのは容易ではないがのう。
太陽はすべての人に分け隔てのない愛を与えてくださるのじゃ。
われわれが感謝しようとしまいと、
なんの見返りも求めない、あたえきりの愛じゃ。
そのことに少しでも気づくことができたら、感謝の心が湧いてこよう。
ささ、くそ坊主のざれごとは、この辺でおしまいじゃ。
みな、今日も一日、息災で過ごされよ。
こうして、お坊様の説教は毎朝、されているのでした。
さて、この話には後日譚があります。
お坊さんの説教を聞いていた金貸しの改心の話です。
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よっくる