年末というのに、ガチで病気になり、
コロ奈やったとしても、5日間あれば治るやろ、とタカをくくってた私は、てひどいしっぺ返しをくらうのだった。
今後の反省も込めて.記録に残すことにする。
12/23 金 発症
実は前日あたりから、風邪っぽいなと思ってはいたが、冬至で柚子湯に入り、あったまって寝たので、その後の大事がまったく予想できていなかった。
この日は夜にイベント参加して拙著を販売する計画を立てていたが、午後に体調不良になり、呼吸しづらくなり.しかも,脇腹がなぜか痛むという状態で、イベント参加は取りやめたのだった。
この時点で医者に行っていれば、もう少し早めの対策ができたのではと反省する次第。
12/24-25 土日 病侵攻
週末は買い物ドライブ以外は自宅で寝て過ごした。
家族が私を残して帰省する計画が実行されたので、日曜からは一人暮らしのようなもんである。
日曜に抗原検査をして陰性だったので、安心したのだが、これがいけなかった。
そことは別の戦線を攻め込まれていることに気づかないのだった。
こうしてクリスマス戦線は劣勢に。
作家活動としてはKindle電子書籍『まほろば物語 鎌倉編』のクリスマスプレゼントキャンペーンがまずまずの結果を残すとか、『サラとリウの物語』の動画を限定公開ではあるが、世に出せたことなど、充実感のある週末だった。
12/26-27
会社のある日だったので、ZOOM会議だけは参加して、あとは静養。
とにかく夜になると脇腹が痛くてつらくて、眠れない。
昼間でもつらいので、救急車を呼びたくなるくらいだったが、実はそれもありというくらいの状態なのだった。
最初は内臓系の病気を疑ったが、まさか肺炎とは思っても見なかった。
まだまだなめていたと言っていいだろう。
自己診断は極めて危険であると反省。
12/28
昨日の時点ではとても外出する元気はなく、
今日はなんとしても午前中に医者に行こうとだけはかたく決意して、朝飯をとり、薬を飲んだ。
しばらく寝ていると、凪の状態になり、これなら外出できそう、ってなったので、歩いて近所の内科に。
いつものようには歩けず、亀の子のような速度でゆっくり歩いた。
初老の男、というイメージが湧いたが、
いや、俺まだ若いし!と思い直した。
内科の待ち時間さえ、身体を休めることができて、ありがたかった。
やはり、身体は資本。
身体あってのこの世生活。
身体に感謝しつつ、労わろうと思った。
(ふだん、酷使してるらしい)
内科の医師はテキパキとしてて、それはそれで気持ちのよいものだった。
レントゲン検査🩻で『あ、こりゃ大変だ。思ってるより大変な状態ですよ、これ。検査を追加しましょう』
この時点で胸膜炎という言葉が出ていた。
え、なにそれ…?
尿検査と血液検査を追加し、診断を受けた。
『重症肺炎です。人に感染しますので、外出禁止です。休み明けにまた来て下さい。休みの間に苦しくなったら救急車呼んで下さい』
かつて、十年くらい前に肺炎を経験したことのある私、肺炎は細菌が原因なので、抗生剤で細菌を撲滅できる。
そう知ってるので、それさえわかれば、あとはひたすら養生だな、と思った。
人間、相手の正体がわからないと不安になり、
いろんな幻想や悪い想像をしてしまいがち。
敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
孫子の兵法の通りである。
私はこの病との戦いは必勝だと安心して、薬を持って自宅までヨロヨロと帰るのだった。
12/29-30
昨日から抗生剤による肺炎との戦いが静かに始まった。
脇腹の痛みは嘘のように治った。
肺炎は抗生剤が開発されるまでは死に至る病だったらしいから、まさに西洋医学の成果と言えよう。
副作用でお腹がゆるくなるので、ビオフェルミンは欠かせない。
ビオフェルミンは乳酸菌だから、薬というよりはサプリに近い。
これひとつで企業が成り立ってるのだから、
まさにニッチな市場でのストロングナンバーワンと言えるだろう。
三度の食事は家内が出してくれるので、
ほんまにありがたい。
私のやることは、ご飯を食べて、薬を飲み、あとは一日一回トイレに行く。
これだけ。
自宅にいながら、実質的に入院生活してるようなもの。
肺炎だけに、結構息がしづらいため、横になると眠れなくなる。
したがって座椅子に座って寝るのだが、睡眠はどうしても、浅くなる。
ぐっすり眠れないのが一番つらい。
それでも30日の夜には久しぶりに風呂にも入れた。峠は越えたという実感はある。
私の過去の経験では5日間抗生剤を飲めば、
肺炎は鎮圧できたので、あと2日、大晦日と元日決戦だ。
これに勝利して、2023年の活動を早期に立ち上げたいところである。
12/31-1/1
大晦日から元旦にかけてはとにかく横になると息苦しくなるので、睡眠が浅くしかとれないのが一番辛かった。
大掃除も年賀状書きもせず、ひたすら寝て過ごす。
紅白歌合戦もいつもほど見るのに身が入らない。
そのあとのさだまさしの年越し番組は初めて通しで見たが、ラジオ番組のような感じのアットホームさでよかった。
平原綾香とか、ももクロとか、さださんに親しいミュージシャンが友情出演で駆け付けてたのも好感が持てた。
元旦はおせちやお雑煮を一人で食べ、なかなかに侘しい。
しかも、睡眠障害からか謎の頭痛に午前中悩まされた。
夜には年賀状の準備をする気になるくらいまでには回復してきた。
明日はリビングでご飯を食べたいものだ。
1/2-3
抗生剤6-7日目。
肺炎はかなり回復したと実感できるのだが、
毎朝来る頭痛はいかんともしがたい。
午前中は頭痛で苦しむが、午後になると落ち着いてくる。
うつらうつらしてると、いろんな夢を見る。
白い鹿と子鹿の夢を見たが、白い鹿は夢がかなう吉兆だそうだ。初夢としてはありがたい。
夕方くらいから元気になってくるので、年賀状を書いたり、ちょっと仕事をしたり。
敷布団を新調したので、身体を伸ばして寝れるようになったのもありがたかった。
今までは横になると息が苦しくなり眠れなかったが、横になっても眠れるようになり、睡眠時間が伸びてきた。
これは間違いなく回復傾向と言える。
1/4から仕事始めだが、1/5に内科を受診するのを言い訳に在宅勤務で寝て暮らすことにした。
スチャラカ社員である。
1/4-5
会社初日はスロースタートと決め、在宅勤務を開始したが、途中でネットがつながらなくなり、開店休業状態に。
1/5は全快診断を得ようと内科に赴いたが、咳が止まらないなどの自覚症状があり、一抹の不安を抱いていたが…
結果として、あと二週間、抗生剤飲んでね!
と言われた。長期戦決定。アーメン。
昨日は抗生剤が切れたので、その分、細菌どもが活発化したのか…。
年末の血液検査の結果も思わしくなく、
さらなる戦線の拡大するリスクもあるとのこと。
とりあえず抗生剤を救い主に見立て、頑張る💪
トンプクなどの薬は症状が緩和すれば減らしてよいと薬剤師に言われたのがせめてもの救いかも。
1/6
在宅ワーク三日目。
ZOOM会議をこなす。
あとは3度の食事に抗生剤。
夕方、ややまどろんで、夕食後、なんやかんやしてるうちに就寝。
翌朝まで快眠だった。
夜ぐっすり眠れたのは久しぶり。
よきかな。
1/7-8
身体を休めるにはグッドタイミングな三連休を迎え、外出できないので、ひたすら安静に努めた。
7日の夜は寝つきが悪かった分、二度寝、三度寝を繰り返し、10時30分くらいに太陽のまぶしさに照らされて起床❣️
ついでに日光浴。冬のお日様の光はやさしくて、よき。
ヨーロッパで日光浴がはやるのも、お日様の光がやさしいからかも。
お日様の光も味方につけて、早期回復をめざしたい。
自然とともに生きているわたしたち、自然のサイクルに溶け込むのが健康の基本かな。
1/9 成人の日
本日は午前中に日光浴で太陽の光を身体に浴びた。平日はなかなかできないが、休日の過ごし方として定着させたいものだ。
午後は娘の成人式の荷物持ちで久しぶりに外出。
けっこう長時間の外出となったが、歩くスピードは娘より断然遅いものの、よい運動になった。
感染リスクを気にしなければ、会社に行けそう。(行かないけど)
日々回復を実感できるのはとてもありがたい。
1/10-11
気温が下がると咳がぶり返す。
また、お腹がしくしくする。肺ではないどこかが炎症?
10日は風が強かったので、家で大人しく仕事。
11日は散歩に。
歩けるようになってきたのは、よきかな。
1/12-13
日々回復中ではあるものの、亀の歩み。
神の水を飲み始めた。効果が楽しみ。
飲み始めた翌日は朝のお通じがよかった。快便は健康につながるので、よき。
13日の朝にアレルギー性鼻炎を発症し、鼻水が止まらない。これにはまいった。
13日は隣の駅まで遠出してみた。
まだまだ本調子でないと身体が教えてくれた。
ニッカのアップルブランデーの香りを吸引すると肺によいらしく、探してるんやが、なかなか見つからない。
海外でよく売れてるからかなあ。
1/14-18
日々此れ回復中のため、ブログに書くことも少なくなってきた。
抗生剤の効果で肺炎は自覚症状がほぼなくなったが、寛解かどうかは明日の診察でわかる。
身体は治りたがってるんだなあと実感。
今日は年末年始行けてなかった散髪に行った。
頭スッキリさせて明日に臨もう!
1/19
今日は内科検診。3週間の治療の成果は…
ほぼ、完治❣️
でした。
やったね。
まだ、咳が出るなど、諸症状は残ってるものの
肺の炎症は治っているとのこと。
咳が出るのは気管支系に問題あり?
それはまた別の話ってことで
長きにわたった肺炎闘病記
一巻の終了です♪