闇のエナジーが跳梁跋扈している現状があり、
それが自分の世界にも時折り現れてくるので、
参考までに記しておく。

闇の存在の定義はここでは地獄界から地上の混乱を先導し、人々がネガティブな想念を発するそのエナジーを好むスピリットをいうことにする。
俗には悪霊と言われる存在だと思う。

恐怖映画でオーメンというのがあった。
あれはダミアンという少年に悪魔が乗り移り、
人を殺したりと悪の限りを尽くすのだが、
私の心象風景ではかなり悪魔の存在を感じた映画であった。
エクソシストもその部類の映画だが、オーメンほどの怖さは感じなかった。

小学校時代に読んだ世界の妖怪辞典には、さまざまな禍々しい存在が絵で描かれていた。
魔界の王やその眷属の絵には目を背けつつもなぜか惹かれていた部分もあった。
怖いもの見たさということもあるだろう。

それから心霊ものに関心が移り、テレビのワイドショーで恐怖の心霊写真とかが紹介されるのをよく見ていた。
テレビのトーンは決して否定的なものではなく、こういう世界もあるんだと受け入れたものである。
心霊写真が撮れると、そのあと、事故や病気など、よくないことが起こることがあり、鑑定家の人たちがまことしやかに『この霊はねえ…』と解説をするのが面白かった。中には眉唾な鑑定家もいたようであるが。

幽霊を見てみたいという欲求も当時からあったが、宇宙人に会いたいとか、UFOを見たいといった興味本位のレベルでしかなかった。
私には霊視の才能はなく、そういった存在にはほとんどお目にかかっていないか、見ても気づかずにスルーしてきた。

コックリさんなどは学生に流行った一種の動物霊による占いだが、動物霊というのは人間だった霊が地獄に落ちて、低級な思いから抜け出せなくなり、動物の姿に変化したものと言われる。
だから、人間の言葉をしゃべるし、霊能力もあるので、簡単な予言などは得意であり、読心術にも長けている。
これがどういうことか、わかっていただけるであろうか?
天使も悪魔も同じ力を使えるということであり、超能力が使えるだけでは、どちか側なのかわからないということだ。
ひとは超能力に憧れ、超能力を尊敬したり、頼ったりする傾向があるが、ご用心しなさいよ、ということだ。
うっかり、悪魔がついてる人に人生相談している、なんてザラにあることだ。

私は霊視はできないが、霊聴はもしかしてできるんじゃないかと思っている。
耳のラジオが霊界にチャンネルを合わせると
見えない存在の声が聴こえてくるのだ。
それはおばちゃんの井戸端会議のような騒がしい独り言のようなもので、悪霊の一種ではないかと思う。実害はないので、無視してると聴こえなくなる。

あと、想像力がたくましいのか、トイレに敷いたカーペットから、いろんな存在の姿が見えたりすることはよくある。
穴三つで人の顔と言われるが、その手の類だと思うが、絵のインスピレーションを与えられているように感じることもある。

夢の世界はこの世からあの世に帰る世界で見たり聞いたりする世界なので、多分にスピリチュアルだと言える。
今日は昼寝をしていて、上司にまとわりつかれ、自分をディスされる夢を見た。
そういうタイプの上司ではないので、明らかに闇の存在からの嫌がらせだと気づいたら、消えた。
自分のこと夢の世界はこのように闇の存在がもっとも攻撃してきやすい場所と言える。
他にも、知り合いの男性がまとわりついてきたりする夢も見た。私は女性性が強いため、男性との恋愛関係というのはなんとなくわかる。自分で経験したことはないが、イケメンの男性は見ていてよいものだ。目の保養になる。

まあ、悪夢を見る程度で済んでるうちは、かわいいものである。
実世界では、仲よかったひとが豹変し、関係が切れてしまうことはたびたび経験している。
それは自分の不徳のいたすところでもあるのだが、人間関係にヒビを入れるのは、闇がもっとも得意とするところなので、なんらかの働きかけを私や相手にしていたものと感じる。

闇の攻撃は、こちらを否定するネガティブな想念をぶつけてくることが多いので、脱力感を感じたり、気分が落ち込んだりする場合は気をつけた方がよい。
そんなときは、さっさと寝てしまうに限る。寝ると魂があの世に帰り、魂のエナジー補充をするので、寝るのは魂にとって、最重要なことである。

よっくる