【イエスの復活の奇跡の意味は?】

今朝のインスピレーションのひとつがこれです。

聖書に、

イエスがゴルゴダの丘で磔になり、
肉体を離れたのちに復活をした姿を12使徒に見せて、
使徒たちがイエスの教えに目覚めた

ということが書かれていると思います。

イエスが生きていた頃は、使徒たちもイエスに
付き従ってはいましたが、その教えを完全には
理解していなかったのです。

だから、最後の晩餐で、イエスは自分が捕まったあとに
弟子の一人がイエスのことを知らないと言うだろうと
予言し、その通りになりました。

人間には自己保身の本能があるので、
仕方のないことだと
イエスも思っていたのかもしれません。

イエスが復活した姿を見せることは
おそらくイエスの魂が計画していたのではないかと
思われます。

生きているときは、死んでからのことは
考えたりしないものです。

『生きているときに、汝のなすべきことをせよ

死んだ後のことは、神にお任せしなさい。
悪いようにはしないから。』

そう言われるような気がします。

全知全能なのは、神様だけです。

地上に生きてる間は、自分の魂のほんの一部分が
肉体に宿るだけなので、

わからないことだらけで、
それがゆえに
悩みながら、試行錯誤しながら、生きている、
それが人間というものです。

人間イエスも、人よりはるかに優れたものの見方をされる方でしたが、
自分が死んでからのことは、神様にお任せしていたと思います。

それで、イエスが死んでから、復活した姿を見せることで
使徒たちに伝えたメッセージは、

わたしは神の一人息子であり、特別なんだ
お前ら、オレを神とあがめよ、ほめたたえろよ
そしたら、お前らも救ってやるよ

…んなわけありませんよね。(苦笑)

キリスト教は愛の教えが素晴らしいと思っていますが、
教義にはやや窮屈さが感じられます。
ま、すべての宗教の教えがそうなのかもしれませんが。

私はキリスト教を今世では信仰していないので、
手前勝手な解釈を述べる自由があります。

前世ではがっつりキリスト教を信仰していたこともあったと
思います。覚えてないけどねー!

なので、よっくる流にこのイエスの復活の意味を紐解きますと…







人はみな、神の子だ

私ひとりが特別なのではない

私の姿を通して

あなた自身に目覚めなさい

肉体の死は本当の死ではないことを

あなたがたに知らせるために

私は戻ってきた

私という肉体は死んでも

私という魂は生きていることを

あなたがたに知らせよう

それは、私だけに起こるのではなく、

あなたがたみなに起こることなのだ

死というものを必要以上に恐れることはないのだ

災害で死ぬこともあるだろう

戦争で死ぬこともあるだろう

不慮の事故で死ぬことも

人から命を奪われることすら

だが、もろびとよ、

安心しなさい

死という門をくぐり

ひとはみな、たましいにもどるのだ

死は不幸と思うかもしれない

死んだひとをかわいそうと思うかもしれない

だが、そうではない

死の復活の奇跡というものは

もろびとみなに用意されている

その意味で神の前にすべての人は平等

今の時代は、そのことに気づいていない人が多い

まず気づかせてほしい

知らせてほしい

そうすれば、死んだあとに

道に迷うこともないだろう

    よっくる拝