ロシアとウクライナ。

ふたつの国の紛争は全世界の縮図だ。

ここにはさまざまな対立構造が詰まっている。

民族的な対立、国家間の対立、東西対立、資本主義と社会主義の対立、ネオナチと反ナチ、、、

大国と小国の対立という構図もあり、判官びいきな日本は小国ウクライナを応援してる。

東西対立という意味ではロシアは欧米諸国の脅威であり、日米同盟という名のアメリカの属国日本はアメリカ側に組する。

欧米から見たら、ロシア包囲網でNATOの勢力拡大する戦略なので、ウクライナのNATO加入を推進し、それがプーさんにプチンと切れられて、侵攻カードを切らせた。

大東亜戦争でのハルノートの屈辱を覚えてる日本人からは、ウクライナは当時の日本と似て見えるだろう。

戦争はいくら大義を語ろうが悲惨なもの。

被害を受けるのはいつも為政者ではなく、民衆だ。

罪もない人びとが無惨にも殺されていく、それが戦争というものだ。

そのことを認識するのはとてもつらいから、人は目をそむけ、別のところに関心をうつす。

空虚な正義はどこにあるかだの、マスコミのニュースはフェイクだの、ディープステートがどうだこうだ、、、

はっきり言って、どうでもよい。

こうしてる今も、ウクライナでは罪もない人びとが肉体を殺され、光へとかえっていく。

そういう人生を歩むリスクを覚悟して生まれてきた魂たち。

彼ら、彼女らにはリスペクトしかない。

対するわれわれはどうなんだ?

ぬるま湯につかり過ぎた日本人たちよ。大人たちよ。

時代が泣いてる…。