一年前に書いたものですが、
よく書けてると思うので、再掲します。
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先日の満月の夜、
てふてふと夜道を歩いてると、
『待つを極める』
というメッセージが降ってきた。
待つことは、大事だ。
相手のことを思ったら、
自分の都合でおしかけるよりも、
相手の都合に合わせて待つ方が良い。
親は子の成長をただひたすらに、
待ち続けるものだ。
子が大人になり、巣立つまで
子供の成長をそばで見守るのは親のつとめだろう。
子はそんなにすぐには成長しないから、
時にはいらいらしながらも
待つことになる。
待つというのは、人間関係において起こることだ。
待つ相手がいるのが前提。
日の出を待つとか、奇跡が起こるのを待つとかもある。
でも、それは本稿で言いたいことではない。
降ったきたメッセージは、人に関する『待つ』だ。
もしかしたら、誤解が解けるのを待つ、かもしれない。
時間が解決してくれるのを待つ、というのは人間関係にはよくあることだ。
私にも誤解がもとで袂を分かった友だちは結構いる。
そんなに人付き合いが上手な人間ではない。
孤独癖があり、喫茶店ではすみっこに座るのが好きだし、立食パーティでは壁の花が立ち位置だ。
親しい人間にある日突然絶交されたなんてことも、けっこうある。
つまりは人間関係に悩みながら生きてきた人間なのだ。
私には人に伝えたいものがある。
私は炭治郎並みに口下手だから、話して伝えるのは苦手だ。
だから、文章で伝えたい。
そう思って、SNSをやっている。
最初はミクシィをやってた。
ミクシィは趣味の合う人(マイミク)とコミュニケーションするのによいSNSだった。
スピリチュアル系のコミュがたくさんあって、そこでいろんな繋がりができた。
その一部はFBになっても続いている。
ミクシィでは携帯で書いた短編のスピリチュアルな物語を投稿したりしてた。
とあるコミュで毎日自主的に連載してた物語は、『青き龍と白き龍の伝説』という物語になった。
のちに、ミクシィで発表した短編を集めて出版したのが『小さな妖精サラ』だ。
私のアマチュア作家活動の中ではデビュー作が体裁や出版部数含め一番完成された本だと言えるだろう。
あれから9年がたった。
私が作家としてステージアップするのはいつだろう。
私はそれを待っているのかもしれない。
まだまだ待ち足りないのかもしれないなあ。
私の中期計画では、60歳の時にひとつの大きな波がやってくるから、それに向けて準備する、というのがある。
もうすぐ55歳だが、会社の仕事も変質し、だいぶらゆとりがあるようになった。今だけかもしれないが。
待つを極めると言われたからには、まだまだ待ち続けるのだろう。
来るべき日のための準備をたゆまぬことが肝心だ。
2020.12.2
よっくる