【無知の知】


私の好きな言葉に

『無知の知』

という言葉があります。


高校時代に

倫理社会という科目があり、

ギリシャの賢人・

ソクラテスの言葉として

習いました。


意味は、


「なんじ、無知なるを知れ」


「私は私が無知であると知っている。」


という意味だったように

記憶しています。


これは、

今の時代にこそ、

必要な言葉です。


現代人は、

自分たちが信じている

常識を疑わず、

他にも真実がある

ということを

なかなか

受け入れることが

できません。


常識を信じることで

安心していると言っても

いいでしょう。


ですが、

常識は

今まで生きていた人々が

選択してきた仮説を、

多くの方が

信じているにすぎません。


いわば、

その時代における

価値観の選択だったに

すぎないのです。


自分の無知なるを知る

ということは、

謙虚になる

ということです。


自分が知らないことは、

まだまだたくさんあるに違いない

という思いで、

自分と異なる価値観であっても、

頭ごなしに否定せず、

聞く耳を持つ。


そして、

心から納得すれば、

受け入れたらいいし、

そうでないなら、

スルーすればいいのです。


物質的価値観は、

スピリチュアルな価値観と

相入れないかもしれない。


今の世の常識は、

物質的価値観が

まだまだ根強いでしょう。

少しずつ、

スピリチュアルな価値観に

目覚める人も増えていますが、

まだまだ少数派です。


無知の知を皆が知れば、

どうなるでしょうか。

スピリチュアルな価値観も、

頭から否定することは

なくなるのではないでしょうか。


そうなれば、

スピリチュアルな価値観への転換は

加速するでしょう。


これからの時代を代表する価値観は、

スピリチュアルな、

霊的な価値観です。


心を大事にする価値観と

言ってもいいでしょう。


今の時代、

うつなどの心の病気が

蔓延していますが、

なぜでしょうか?


心を大事にしないから

ではないですか?


時代が悲鳴をあげているのですよ。

このままでは、

もうやっていけないよ、と。


うつや、精神的な病に

侵されている人は、

自らをもって、時代にNOと

言ってくれているのかもしれません。


物質的価値観は、

物が欠乏していた時代には、

それなりに意味がありました。


物質的豊かさを得るために、

人々が頑張る支えになった面も

あるでしょう。


衣食足りて礼節を知る。


まず

衣食足りて、が

大事な時代だったのです。


しかし、

衣食が足りた今、

礼節を学ぶ時代になりました。


いつまでも、

足りている衣食を

まだ足りない、

まだ足りないと言って、

追いかける時代ではないのです。


むしろ、

足りていない国に

分かち合うべきなのです。


礼節というのも、

心を大事にする

一つの方法なのだと思います。


今、私たちは、

スピリチュアルな時代の

入り口に立っています。


今までの価値観は、

もう古くなり、

新たな時代に

合わなくなっています。


新たな時代の価値観を選ぶには、


無知の知、


私は本当は

なんにもわかっていなかったんだ、


という感覚を持つことが大事です。


そうすれば、

新たな価値観を学ぶ気持ちが

湧き上がるのではないかと

期待しています。


よっくる