【うっせーな】
球場の片隅の観客席。
後ろのほうで二人連れの男性がなにやらガチャガチャと大きな声で話をしている。
女性の観客たちは(うるさいな)と心の中では思っているが、誰も口に出すものはいなかった。
すると、前の方の席で、ポツリと
『うっせーな』
と声がした。
たまたま、男性客たちがビールに口をつけて黙った一瞬のこと。
その言葉は、そのあたりの観客全員に聞こえるほどで、あたりは、シーンと静まりかえった。
声を発した若い女性は、自分の声が思っていたより周りに響いてしまって、
これはまずい
と思った。
何よりうるさい男性客の耳にも届いてしまったのではないか。
喧騒にまぎれて、つぶやいたつもりが。
男性客がこちらに降りてきて、なにか因縁でもふっかけられたら、どうしよう。
もしかしたら、ヤクザさんだったら。
海外に売り飛ばされて、ひどい目に合わされたら。
そう思うと、さーっと血の気が引いた。
『ぷっ』
どこかで、誰かが吹き出す声がした。
すると、それを皮切りに、クスクス笑う声がそこかしこから、もれだした。
笑いは伝染する。
クスクス笑いは、たちまち、あたり一面に広がった。
中には腹を抱えて笑いたいのを必死で押し殺してるらしい人もいた。
まわりの雰囲気が一気に和み、若い女性客はそっと後ろを振り返った。
男性客は笑いの渦に囲まれて、苦笑いしていた。
怒ってはいないようで、ほっとした。
笑いは、人の心を変える、いっぷくの清涼剤。
よっくる