【宗教について考える③】
少しずつですが、自分の宗教観について語っていこうと思います。
今回は宗教からスピリチュアルへ。
宗教を宇宙の真理を示す教え、と定義すると、それは特定の団体の専売特許などではないとわかります。
入信しないと不幸になるぞーとか、
天罰が下るぞとか、
そういったおどしのような言い方で
団体に縛りつけようとするのは、
本来の宗教団体のあり方ではない。
もっと自由に学べてよいはずですが、宗教の教えの奥義を学ぶためには入信しなくてはならない、とか、
宗教団体というものは、入信させて、信者を増やして、それで活動を維持しているという側面がある。
そのこと自体は善でも悪でもないけれど、
自由意思で入信すればいいと思うのだけど、
私はもっと自由に宇宙の真理を学びたい、
そう思っています。
なので、宗教の教えは書籍から学べばよい、ということで、若い頃はいろいろ読み漁りました。
父や祖母が生長の家を熱心にやっていて、 特に父は家族にその教えをしばしば説明してくれましたね。私たちが子供の頃でしたが。
まあ、そんなこと言われても子供にはわからんよね。
私は結構真面目に聞いてたけど、他の家族は右から左だったようです。
そこから学ぶことは、関心のない人にいくら伝えても理解できないってこと。
私も自分が感動した本を友達にもプレゼントしたりするけど、それを読むも読まないも、その人次第。
困った顔をされたこともよくありました。
今から思えば、押しつけだったなあと反省。
キリスト教は聖書を読めば充分。
モーゼの十戒とかは映画で何度も観ました。
海を割るシーンが大好きでしたね。
イエスの教えは
・右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出しなさい
のところで、
自分には無理❗️
と投げ出しました。
ちなみに幼稚園はカソリック系の
王たるキリスト幼稚園っていう
今読むと、すごい名前の幼稚園。
イエスの劇をやったり、聖歌を歌ったりしてたような、おぼろげな記憶が。
うちの子供たちは仏教系のお寺さんの幼稚園だったので、ののさまとか言って、お釈迦様に祈ったり、歌を歌ったりしてて、かわいかったなあ。
日本では神道と仏教とキリスト教が三大宗教で、生活のあちこちに溶け込んでいますね。
学校教育から始まり、結婚式もそれぞれの流儀があるし、神社にもお寺にもお参りしたり、教会にもたまには行ってみたり。
それは入信していなくても、みんなやっている。そういう大らかなところがありますね、日本は。
アメリカだとキリスト教の信者が多くて、日曜日には教会に行って、神父様のお話を聞いたりしてるようですが。
インドネシアではイスラム教がさかんで、毎日礼拝の時間が決まってたり、年に一回、国をあげての断食のお祭りがあります。
このように宗教的活動というのは、日常生活の中に組み込まれているものなんです。
社会的慣習というか、昔、誰かが始めたことが国中に広まり、生活様式の一部になる。
これって、とても自然なことだなあと思います。
え、スピリチュアルの話はどうしたって?
今回はたどりつけませんでした笑笑
それではまた。
よっくる