【祈りとは、関心を持つこと】
祈りについて思うこと。
それは、関心を持つこと。
愛の反対は、無関心と言われます。
無気力、無関心が大多数の意識だとするなら、
今の社会は、愛の度数が低い、と言わざるを得ません。
「宇宙人アミ」の物語の中でも、
アミは地球人を見て、
「なぜ同胞が飢餓で苦しんでいるのに、
先進国では食べ物を無駄にしているのか。
地球人は同胞に対して無関心すぎる。
地球はまだまだ愛の度数が低い。
もっと高めなきゃいけない」
・・・といった趣旨のメッセージを伝えてくれています。
私も、自分の中に数多くの無関心を持っています。
だから、このメッセージは心にズキンときました。
また、こんなお話もあります。
ライアー奏者の池末みゆきさんのお話ですが、
幼稚園の園長をされていた時代に、
顔に障害を持つ異形の子が入園してきました。
子供達は、みんな「お化けだー!」といって逃げます。
みんなに嫌われてきたため、その子もとても乱暴な子だったそうです。
園長のみゆきさんは、ある子供に、彼のために祈ってあげようと言いました。
すると、その子は
「ここからいなくなってほしい。出て行ってほしい。」と
祈っていたそうです。
あらあら、と思いながら、毎日その子と祈りを続けていました。
すると、ある時、その子があの異形の子と仲良く遊んでいたんだそうです。
みゆきさんは、その子に聞きました
「あなた、あの子のこと、嫌いだったんじゃないの」と。
すると、その子は、
「うーん、なんだかよくわからないけど、今はあの子のこと、嫌いじゃないんだ」
と言ったそうです。
この話を聞いて、ネガティブな祈りを否定していた私の考え方が根底から覆される衝撃を受けました。
そして、涙がこぼれました。
どうして、こういう素晴らしいことが起きるんだろう。
おそらく、そのカギとなるのが、
「関心を持ち続けること」
ではないかと思います。
関心を持ち続けることで、
「きらいきらい」と思っていたのに、
あるとき、それが反転する。
昨日の敵は、今日の友、と言いますが、
こうしたことは無関心だと起こりえないのです。
たとえ闇と向き合うことでも、
それを続けることで、
光に転じる瞬間が来るということ。
そのことを学んだエピソードだったように思います。
誰かのために祈ることは、その誰かに関心を持つことから始まります。
祈りとは自らの愛を相手に届けることなのかもしれません。
よっくる