忙しい合間のスキマ時間に
武蔵国一ノ宮の小野神社を初参拝しました。

前回はまさかの電車運休で行けなかったところ。
今日は順調にコトが進みました。

場所は京王の聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩十分程度。

近くを疎水が流れていて

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近くまで来ると空気感がガラリと変わり、驚いた。
鈍感な私にもわかる空気感。

神域。

そう、素直に感じられた。

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駅に近い側の通用口より境内へ。

村の鎮守様といった質素なたたずまい。

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境内の木。

葉が落ちた落葉樹が白く輝いてるように見えた。


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御祭神の中には瀬織津媛のお名前も。

小野神社は瀬織津媛を祀る神社として
一部の人には有名。

瀬織津媛と言えば、

菊理媛と並んで、

神話にはほとんど登場しない

隠された女神として有名。

スピリチュアルの世界では

ホツマツタエが見直されていて、

そこにはアマテルという男神の奥様として
登場している。

縄文時代、大阪にあった古代王朝の王と王妃。

天孫降臨でニニギノミコトが天下りし時、

国譲りをしたのは出雲王朝だけではない。

国津神が治めていた大和の地を

天津神が平定していったのは

古代の日本の歴史的な事実。

その流れの中で、

天武天皇の御代に作られた古事記、日本書紀は

天津神の系統である天皇家の正当性を確立するために編纂されたもの。

中国でも歴史書は時の権力者の都合のよい物語として編纂されてきたもの。

それを天武天皇は参考にされたのでしょうか。

そうした意図があるために、国津神の中でも有力な神であったものたちは、敵として描かれ、
または歴史から抹消された。

しかしながら、歴史書編纂前からあった神社には
古き神々の名残が刻まれているのです。

神社を巡るのは、そうした神々へアクセスするためのフィールドワークにもなるのです。

神社にはいろいろあり、
波動の高さを氏子たちがしっかりと守っている神社もあれば、
俗世間にまみれ、波動の下がっている神社もある。
魑魅魍魎の巣窟になっているところすら、あるので、あまり神社だからといって、ありがたがって行くと、しっぺ返しをくらうこともある。

私は幸い、そのような経験はないけれど、

ここ、小野神社に関してはしっかりと神域が保たれていると体感できたのはよかった。



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青空で

晴天で

陽の光が強くて

逆光  笑笑

狛犬を撮ったんだけどね。


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狛犬。

こちらは太陽を背に撮れた。


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お社はきれいに維持されている。


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きれいなお社。


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お社の後ろにもお社が。


駅までの帰り道をてくてく歩いていると、

メッセージが降りてきた〜(^ ^)



小野神社にて


あなたの感じたことを

大切に。


頭で考えるのでなく、


知識で判断するのでなく


心で


感じて。


あなたの心に見えたものの中に


真実はあります。


よっくる