さだまさしさんの作る歌の歌詞は
美しい日本語でつづられている。

日本は言霊のさきわふ国。
日本語に宿る言霊には特別ななにかがある。

世界の言語の中でも難しいと言われる日本語。
私をわたしと言ったり、あたしと言ったり、俺と言ったり、同じことを言うのに幾通りもの言葉がある。
外来語もどんどん受け入れているので、古きよき日本語が若者に忘れられないか心配だが、さだまさしの歌詞にはそうした古きよき大和言葉がふんだんに盛り込まれている。

「飛梅」という歌は太宰府を舞台にした悲恋歌だが、「飛梅」と書いて「とびうめ」と読むこの言葉は、平安時代、政争に敗れて太宰府に左遷された菅原道真の庭木であった梅が主人を慕い、ひと夜で太宰府まで飛んで行ったという故事に由来する。
なんだかロマンのある逸話であるが、それを「飛梅」というシンプルな言霊で表している。
短い言葉にすべてが詰まっているのが日本語の奥深さかもしれない。

邪馬台国九州説を唱えた知人を歌った「邪馬壹」という歌は、「盲(めし)いた詩人が一人」というフレーズで始まるが、「盲目の詩人」というよりも言葉が柔らかく感じるのは気のせいだろうか。

https://youtu.be/wF99TUcvfOw

ちなみに私も九州説を信じている。

さだまさしの歌は抒情を歌うものが多い。
女性の恋心など、上手に歌うので、女性ファンも多い。
人の感情のひだを言葉にするのは難しいが、それに秀でているのがさだまさしの抒情詩人たる所以であろう。

「つゆのあとさき」という歌の「あとさき」という言葉も耳慣れない人が多いかもしれないが、物事の前後を指す言葉だ。
梅雨という季節のはじめと終わり、梅雨をひとつのドラマとしてとらえると、どんなドラマにもはじめと終わりがあり、どんな恋にも始まりと終わりがある。
さだのこの歌は恋の終わりを歌ったものだが、しみじみとしたいい歌だ。

他にもよい歌はたくさんあるが、吟遊詩人、抒情詩人さだまさしに乾杯🥂

よっくる

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