1.なぜ神理を学ぶのか ―孤独地獄からの脱出―
「神理」と書いて「しんり」と読みます。
「まことのことわり」は「真理」という言葉です。
私は長年、「真理」を求め続けていましたが、「真理」はいつの頃からか「神理」に変わりました。
「神理」とは「かみのことわり」です。
神様を信じていなければ、到底受け入れられません。
宗教くさいと嫌がられるかもしれません。
宗教は宗教団体が数々の問題を起こすために、現代日本においては色眼鏡で見られる傾向がありますが、世界ではなんらかの宗教を信仰している人の方が多いのです。
日本の嫌宗教観は世界から見れば不思議であり、かつ異常なのです。
決して世界標準のものの考え方ではないのです。
私は「宗教」とは「宇宙を示す教え」であると考えております。
これも私が学んだことのひとつですが、おそらく正しいと思います。
「宇宙を示す教え」は教えを説く人によってさまざまなバージョンがあってもよいはずです。
人間という制限のある生き物が言葉という制限のある道具を使って人に伝えている時点で、「宇宙を示す教え」のすべてを伝えることは不可能であります。
また人それぞれ能力の限界というものがあり、伝える人の能力に応じて伝えることのできる内容もさまざまです。
その人の持つフィルターを通して語られるものであるということを知らねばなりません。
鵜呑みにしてはならないのです。
人の伝えることを自分というフィルターを通して受け取るのです。
私が「神理」という言葉を初めて知ったのはいつでありましょうか。
恐らく学生時代に読んだ書籍からでありましょう。
心あたりがあるのは高橋信次という方の書籍です。
私が大学生の時にいろんな宗教書を読みあさっていたのですが、その中に信次先生の書籍があり、「神理」という言葉もそこに書かれていました。
信次先生の言われる「人間神の子。魂が本体であり、肉体は魂の乗り舟にすぎない」という神理は若い私のハートに深く深く突き刺さりました。
「自分が探し求めていたものはこれだ!」と深く感動したのを今でもありありと覚えています。
しかし、なぜ私は神理を求めてやまなかったのでしょうか?
それは若き頃の悩みを克服できずに、苦しんでいたということはあるでしょう。
小学生の頃から無口で、友達も少なく、孤独癖のあった私。
今もシャイでなかなか知らない人と打ち解けることができません。
なぜそんな性格なのかと聞かれても、それが自分、と答えるしかない。
自分の考えを言葉にするのが下手だったというのもあるのかもしれませんが、私の学生時代は孤独との戦いだったと言えます。
中学では校内暴力の嵐の時代で、生まれ育ったところが実は結構ダウンタウン系だったとあとで知りましたが、まあそれはひどいもんだった。
「ビーバップハイスクール」の中学生版のような連中が校内を取り仕切っていました。
小学校時代がパラダイスに思えたものです。
まあ、ある意味で社会の縮図のような世界だったわけです。
私は中学では勉強のできる優等生でしたから、ときどきいじめに合いました。
人の眼を見ることができなくなったのは、この頃のトラウマです。
中学を卒業して進学校に入り、ようやく孤独地獄からも卒業できると思ったが、甘かった。
高校は受験地獄という恐ろしいところで、クラスメートはみなライバル。
ここでも口下手が災いし、「暗い奴」と思われていたのではと思います。
自分自身が心を閉ざしていたというのもあったかもしれませんが。
週に何回か行く英語塾がアットホームなところで救われていました。
友達ができない、実はいたかもしれませんが、深いつきあいのできる友達がいない、その孤独感は私を精神的に追い詰めていきました。
軽い鬱状態であったかもしれません。
アニメやマンガなどの空想の世界に救いを求めていました。
マンガ家の高橋留美子さんの作品にはとても助けられました。文字通り、生きる支えになっていましたね。
「人」は、二本の木が支え合う姿を具象化した漢字と言われますが、人は社会的な生き物であり、決して一人では生きられません。
家族や友達、仲間はとても生きていくうえで重要です。
それらに恵まれなかった人は孤独に苦しみます。
「人間」とはまさに「人と人の間に立って、生きるもの」なのです。
ですから、若い頃の孤独というのはとてもつらいものです。
今でいう引きこもりですが、私もそれと似たようなものであったと思います。
学校に行けなくなるといったことはなかったけれど、学校に行くのが苦痛でした。
「大学を出るのが当たり前」という社会的な風潮もあり、学校に行かないで働くという人生は私には選択できませんでした。親もいい大学を出ることを期待していましたから、親の期待を裏切ることもできません。
私は気の弱い若者だったのです。
あるとき、私は学校返りの駅のプラットフォームに立っていました。
心はさびしく、孤独感で満たされていました。
そのとき、ふいに、湧き上がるように、ある言葉が自分の心の内から出て来ました。
『生きている
生きている
生きている、自分!』
それは圧倒的なパワーでした。
今から思えば、心の内なる真我からのメッセージだったのだと思います。
ただ、その言葉に突き動かされ、私は生き続けることができたように思います。
続く