八月六日、ヒロシマ。

八月九日、ナガサキ。

そして、八月十五日、日本終戦。

今から七十年ほど前の、暑い夏。

それは、日本だけのことではなく、

地球人類にとって、大きな出来事でした。

現代文明が、核エネルギーというパンドラの箱を開け、その使い方を誤ってしまった日。

人類の未熟さを露呈した日でもありました。

 

戦争という狂気は、人から正常な判断力を奪います。

小さい子供でもわかる、人としてしてはいけないこと。それを犯した時。

人は新たな原罪を背負ってしまったのです。

この罪を償うには、どうすればいいのでしょうか。

未だに先進国が核兵器を保持し、有事があれば、いつでもその発射ボタンを押すことができる。

そんな映画のような、嘘のようなほんとの話。

 

時代は過ぎて、九月十一日、ニューヨーク。

資本主義の象徴たる世界貿易センタービルに民間旅客機が突っ込みました。

まるで日本が戦争でしてしまった悪夢、特攻の再現のように。

また、この事件は、パールハーバーの再現でもありました。その場所はグラウンドゼロと呼ばれています。

それはテロとの戦いを正義とし、米軍が中東へ侵攻する火種となりました。

その火種は今もなお、形を変えて、くすぶり続けています。

 

これから、地球人類はどこへ向かうのか?

今、地球に生きとし生けるものすべての人が、どう行動を起こすのかにかかっています。

地球人類の意識の革命。

基本的な価値観の洗い替えの時期が迫りつつあるのです。

 

よっくる