【羊と山羊が分かれるとき】

聖書では世界の終わりには、
人は羊と山羊に分けられる
という。
救世主に選ばれた人(羊)は
天国に招かれ、
選ばれなかった人(山羊)は
天国に入ることは許されず、
滅びの道をゆくことになる。
選民思想とも言われる所以の
この教え、本質は何か?

羊が天使で、山羊が悪魔とか、
善悪二元論で語れるような単純なものではない。
しかし、世界が二極に分かれ、
そのどちらを選択するかは
私たち一人ひとりの自由意志に
委ねられているようだ。

イエスによると、愛の行動を日頃から行うものは、羊であり、口先ばかりで行動しないものは山羊であるようだ。
愛とは言葉ではなく、行動で表すものであり、困っている人には手を差し伸べるとか、そんな当たり前の優しさの積み重ねが愛の度数を上げるのだ。
利己愛から利他愛へとシフトしていった時、天国の門はおのずと開かれる。
心が愛で満たされると、まわりの人にその愛を分かち合いたくなる、それが人間というものだ。
逆に利己愛にとどまり、人生を終えるならば、愛を学ぶ修行をまだまだ続けなければならない。
そう魂が判断すれば、山羊の世界に行くことになるのだろう。
羊の世界に行くか、山羊の世界に行くか。
それは自分の頭ではなく、自分の心の神様が判断する。

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