【泥沼に咲くハスの花】

映画「レミゼラブル」を見て、最初の一時間くらい、辛くて辛くてしょうがなかった。
でも、その分、後半の感動も大きくなるように感じた。

主人公のジャン・バルジャンが闇にとらわれた人生を抜け出し、最後には聖者と呼ばれるほどの愛深き人生を終える物語。

ジャン・バルジャンの不幸に彩られた半生の描写も辛いが、男の不幸はまだよい。
コゼットの母親である、まだ若い女性が工場をクビになり、娘のために娼婦にまで落ちていくくだりは、あまりに辛すぎて、正視できない。
その分、コゼットが幸せになり、母親の魂も救われるのだが、それでも辛い。

映画の前半にこうした辛い描写が続くのであるが、私は少し、自分の人生にも重ねて見ていた。

闇を通り抜けて、光の道にたどり着く人生。

人は、このような人生計画を設定して、この世に生まれてくることがある。

人生のいっときは、苦しい思いをするけれど、

闇を知ることで、愛の喜びをより深く知ることができる。

それは確かなこと。

ハスの花は、美しいが、
清らかな水には咲かない。
泥沼で育ち、花を咲かせる。

ハスの花は、蓮華。
仏教でも重要なシンボル。
スピリチュアルな花。

ハスの花が教えてくれるのは、

闇という泥沼で育ち、
愛の花を咲かせなさい

というメッセージ。

闇は最後にはかならず光に、愛に転じる。

それは、私たちの属する、この大宇宙のテーマでもある。

地球は、そのテーマを実践する使命を持った特別な星。

だから、宇宙のさまざまな星々から、たくさんの魂が地球で愛を学ぼうとやってくる。

地球には、この世とあの世があり、
この世で辛い人生を終えた魂も、
やがてはあの世に帰り、
永遠の生命として復活する。

これは、すべての人に与えられたミラクル。

神の究極の愛の姿がここにある。

このあたりは、「レミゼ」のラストシーンにも見事に表現されているので、是非ご覧頂きたい。

この世でのどんなに苦しい経験も、
たとえそれで命を奪われたとしても、
魂は、ただそれを経験するだけ。
そして、その辛い経験の中で、
どれだけ愛に生きたか。
愛を行動で表したか。
それだけが魂にとって重要。

この世という泥沼で
愛の花をどれだけ咲かせたか?
咲かせたいか?

その課題に取り組むために、
私たちは、この世に生を受けた。

愛の花というのは、
無限に大きく咲かせることができるもの。
そして、人の数だけの個性の色をつけるもの。

私の花は、私にしか咲かせることはできないし、
あなたの花は、あなたにしか咲かせることはできない。

だから、物を書く人、
ケーキを作る人、
前世をリーディングする人、
エネルギー療法をする人、
絵を描く人、
音楽をかなでる人、
音楽を作る人、
人を勇気づけるトークをする人、
人を笑いで癒す人、
人を感動の涙で潤す人…。

それぞれの素敵な個性に応じた仕事をして、
愛の星づくりに貢献しよう。

その道をあゆむとき、
決してあきらめないこと。
途中で投げないこと。
へこたれないこと。

花を咲かすには時間がかかる。

自分が咲かせる花を探すのも、時間がかかる。

あせらず、たゆまず、
進んで行こう。

泥沼で花を咲かせよう。

あなただけの花を。

よっくる