まず、小林麻央さんのご冥福を心よりお祈り申しあげます。
闘病中のブログも拝読させていただいておりましたが
いつも前向きにご自身と向かい合っていらっしゃる姿に
頭が下がる思いでした。


この後の内容は
私的かつ暗いので
そういうのが嫌いな方は
ここで、読むのをやめてね。

何回か書いているので繰り返しになりますが
私の妹も30歳で癌の為亡くなりました。

妹との想い出は楽しい事も辛い事も沢山ありますが
やはりこういう時は闘病中や亡くなる前の辛い事ばかり思い出してしまいます。

妹が亡くなる日、病室に泊まった私は
もう声が出せなくなっていた彼女と
筆談で会話をしていました。
彼女が私に向けて最後にノートに書いた言葉は
「お姉ちゃん、もう寝ていいよ」でした。
夜中の何時頃だったかな〜?思い出せないけど。
そして、しばらく微睡んでいたら
呼吸困難の症状が出て
看護師さんを呼んで。
そしたら妹がノートに精一杯の力で
看護師さんに
「このまま薬で眠らせてもらったほうが良い?」
って書いたの。
苦しかったんだろうね。
電話で呼んだ父母もまだ到着してなかった。
私は何と言って良いのかわからなくて
「かおりの好きなようにして良いよ」って。
気管切開はしない約束だったから。
そして薬で眠らせてもらう間も無く意識が無くなって

でも、意識は無くても
父母や婚約者が病室に着くまで
頑張って生きてた。意識無くても生きてた。
だから父母や婚約者の呼びかけも
ちゃんと聞こえてたと思う。きっと。

私が妹の闘病中に忘れられない事は沢山あるけど
1番に思い出すのは

「あーあ。私もついに モルヒネ 飲むようになったか!」

って冗談を言っているように笑った顔。
今はあの頃に比べて医療も進んだから
今のことはわからないけど
当時は「モルヒネ」って最後の痛み止めだったの。
モルヒネを使うってことは、もう治療法も無くて
痛み止めを飲みながらどんどん悪くなっていくだけ。
癌センターでの入退院を繰り返して
周りでそういう人を沢山見てきた妹には
この後の自分がどうなるのか
ハッキリと解った瞬間だったと思う。

私は自分が何て返事をしたのか覚えていない。
たぶん、オロオロするのを悟られないように
不甲斐なく笑顔で何か言ったんだろうな〜。
今だったら何か言ってあげられるかな。
無理だろうな。たぶん。

妹の闘病中のことは
一生忘れられないけど
普段はなるべく楽しかった事を思い出すように
無理矢理コントロールしてるけど

何かのきっかけで
思い出してポロポロ泣いちゃう日もあるよね。
ショウガナイよね。
おねーちゃん だもん。

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泣いてると
凛さんがペトッってくっついてきてくれる。
大丈夫だよ。
母ちゃん強いから!
大丈夫だからね。
でも、ありがとう。