久しぶりの投稿になります
アメリカに住む長男と次男に
会いに行ってきました
お天気にも恵まれ
心に残る素晴らしい旅となり
また折を見て備忘録を書きたいと思います
が…
まるで私の帰国を待っていたかのように
母が9月25日に静かに息を引き取りました
母は、いつも自分より他人を優先し
にこにこと朗らかで優しい人でした
晩年はパーキンソン病が進み
あの笑顔をあまり見られなくなり…
胃ろうで過ごした4年近くの日々から
ようやく解放されたのかもしれません
最期は辛そうでしたので
父の待つ天国へと旅立てた
今はよかったのだと思うようにしています
親を喪った心の穴は深いけれど
「90歳のおばあちゃんの人生を
Celebrate しよう!」
という息子たちの言葉に少し救われています
母は本当に
すべてお見通しだったのかもしれません
帰国した23日の翌日の24日夕方
施設からのお知らせが
嘔吐した後、誤嚥性肺炎のような症状
救急搬送の選択肢もありましたが
面会できないかもしれないこと
病院での管だらけだった父の姿が
脳裏をよぎり
取り急ぎ苦痛を和らげる処置を
駆けつけた時には
少し苦しそうでしたが
幸い酸素の数値も落ち着いていたのと
翌朝、再度往診の予定だったので
夜9時に施設を出て帰宅
25日 日付が変わってまもなく
施設からの電話
「呼吸が止まってしまいました」
渡米前には特に変わった様子もなく
18日には訪問看護の方に外気浴へ
連れ出していただき
目を開けていたと聞いていただけに
信じられない気持ちです
この週末は母の遺品を整理
私や義妹からのカードや手紙が沢山
宝物のように大切にしてくれていました
父との旅の写真、
旅先で手にした絵葉書や入場券、
何気ないチラシまでも
一つひとつに
母の愛おしむ心が宿っていて
胸に沁みました
ジュエリーボックスを除くと
母が歩んできた時間そのもののような
輝きが目に入ってきて
形見として
母と共にこれからを生きる証として
大切に着けていきたい
母のアルバムを本棚の
私のアルバムの隣に差し込み
何気なくわたしのアルバムを開いてみた
最初のページに残されていた母の直筆
「この新しい生命に
永遠に幸福がありますように」
私が生まれたその時に託された
母の祈り
その言葉に包まれるようにして
あふれんばかりの愛情を注がれて
私はこれまでの人生を歩んできたのだと
今になって気づきます
嬉しそうに腕に抱いた私を見つめる母
母の愛は、消えることなく
これからも静かに
私の中で息づいていくのだと思います
どんな時も私を支え、励まし、
背中を押してくれた母の愛を思うと
自然に心の中で歌が響きます
“You raise me up,
so I can stand on mountains.
You raise me up,
to walk on stormy seas…”
しんみりしたブログになってしまって
ごめんなさい
何かしていないといられずに
ブログを書きました
読んでくださってありがとうございました