岐阜県各務原市
佛眼院
(ぶつがんいん)
御朱印
承久の乱供養塔の御朱印
美濃四国の御朱印
*山号【矢熊山】
*院号【仏眼院】
*正式名称【矢熊山佛眼院】
*宗派【古義真言宗 】
*ご本尊【不動明王】
*札所等【美濃四国25番】
*開基 【明心】
*創建年【不明】
*住所【岐阜県各務原市前渡東町6-1975 】
眼病治癒にご利益があると言われている
お寺さん📿
手術をした左目だけ
お仕事でパソコンやスマホを一日中使うと
目が疲れて痛くて
開けるのもイヤになるほど‥‥
お守りが欲しい〜♡
通称
「前渡不動尊(まえどふどうそん)」
ここから登っていきます
見た目よりキツイ登りです😢
特に、最初の坂道が急で、
またこの日は雨も降っていたので
とても登りにくかったです😅
坂道の途中にある
「承久の乱合戦供養塔」
承久の乱(1221年)
尾張・美濃の国境であった木曽川沿いでは激戦が繰り広げられました。
ここに並ぶ五輪塔は、この戦いで戦死した武士を供養するためのものといわれ、
前渡一帯から集められてきたものです(案内板より)
各務原市の史跡に指定されています。
さらに登ります🐾
駐車場から10分弱ほど登ると
ご本堂が見えてきました
疲れました😅
達成感しかありません笑
ナスのイス?笑
建仁3年(1203年)
土御門天皇の祈願をうけて、
成賢が醍醐寺の東谷に醍醐寺塔頭として創建。
成賢は仏像を制作して安置されました。
慶応4年(1868年)
旗本前渡坪内氏家臣・山本軍八郎の子である秀之助が、
17歳の時に目の病によって両目を失明しましたが
成田不動(現・成田山新勝寺)に参籠して修行したところ
不動明王の霊験によって片目の視力が回復しました。
この恩を受け、秀之助は真言宗に帰依して出家し、明心と改名。
明治23年(1890年)11月11日、
矢熊山に明心によって仮の堂が築かれ、
明治時代になって堂宇を失い実態のない状態であった佛眼院の名を継承。
御本尊の不動明王は
下総国成田山の御分身で、
眼病治癒の御利益があります🙏
駐車場の一角にある不動王堂
無事に、お守りをお受けすることができました
どうかよくなりますように🙏
ご縁がありますように🙏
最後までご覧いただき
ありがとうございました