山科地蔵 徳林庵
     (とくりんあん) 

御朱印



お寺の前を通る道は
旧東海道です。 



室町時代1550年 
南禅寺の第260世住職である 
雲英正怡(うんえいしょうい)が 
第54代天皇の
仁明天皇(にんみょうてんのう) の第四皇子である 
人康親王(さねやすしんのう)の菩提を弔うために 
創建したのが始まりと伝わっています 


山科廻地蔵(やましなめぐりじぞう) 
山科地蔵 
四ノ宮地蔵(しのみやじぞう)
とよばれています 




手水舎
井戸ですね




大阪が「大坂」と書かれてますよクリップ


反対側を見るとみたことがあるマークがありますよ! 

なんのマークかわかりますよね?OK





このマークは通称「丸通」とよばれ、 
元々江戸時代の飛脚たちが書簡や荷物を運ぶ時に 通行証にこのような印を使っていたものらしいです。 

明治時代になり
飛脚たちは日本通運の前身になる
「内国通運株式会社」を設立。 
その時にこのマークをロゴマークとしました。

現在に日通のマークの起源と言われています。



「伏見六ぢざう」という道標が立ってます
かなり古そうですウインク



地蔵堂 

山科地蔵が 安置されています 



普通、この戸は閉められていて
お賽銭はこの戸の隙間からいれます



山科地蔵は、
『京の六地蔵めぐり』の 1つです

京の六地蔵とは、 
平安時代の852年
小野篁(おののたかむら)が木幡山(こはたやま)の桜の一木から 
彫った6体のお地蔵さんの事です 

その後 後白河天皇は、
都の守護、都往来の安全、庶民の利益結縁を願い、 
1157年、
街道の出入口6カ所に 六角堂を建てさせ一体ずつ安置しました 

その後、山科地蔵は東海道の守護仏となったわけです!
毎年8月22、23日の六地蔵巡りが伝統行事となりました



 6つの街道に安置された地蔵菩薩を巡礼し 
無病息災等を祈るというものなんです 


奥にいくと

人康親王蝉丸供養塔 
(さねやすしんのうせみまるくようとう) 




親王は、病気によって失明していた事から 
859年(貞観元年)に出家し
琵琶の名手といわれ 
多くの盲人に琵琶を教えていたそうです。

そのため『琵琶法師の祖神』として崇められ
徳林庵は 
『琵琶法師の聖地』と呼ばれるようになりました



わらべ地蔵 


6体のお地蔵さんです。
一番右に安置されるお地蔵さんの前掛けをそーっとめくると

琵琶を持っているんですよ


目の前は旧東海道で車の行き来も多く
賑わっていますが、この山科地蔵は
静かです

御朱印は書き置きで、御朱印代は地蔵堂のお賽銭箱にいれてください
と書かれてました。


*山号【柳谷山】 
*院号【】 
*寺号【徳林庵】 
*正式名称【】 
*宗派【臨済宗南禅寺派】 
*ご本尊【聖観世音菩薩】 
*札所等【六地蔵巡り・京洛六地蔵巡り第6番札所】 
*開基 【雲英正怡(うんえいしょうい)】 
*創建年【 1550年】 
*住所【京都市山科区四ノ宮泉水町16】 


御朱印は納経、参拝の証としていただいています💕🙏 

 参拝できましたことに
感謝いたします 

最後までご覧いただき
ありがとうございました🎵