西国三十三所、満願




知り合いの方との何気ない会話から、西国三十三所を巡礼してみようと軽い気持ちで行き始めました。



西国三十三所ってどうしてするのかなぁ?
なんのためにするんだろう?
と調べてみました。


人は、心に求めるものがあるから巡礼に出る。
仏様の前に自分をさらけ出して、無になりお願い事をすることで助けを求めている。
仏様のご慈悲にすがり
どこかで救われたい願いがある。

だから、巡礼する。



仏教思想家の ひろさちやさんは

『観音巡礼の旅は自分発見の旅です。
本当の自分を見つけるための旅行です。
わたしたちは、本当の自分を見失っているのではありませんか。
現代日本の社会は、どうも恐ろしい社会になっているようです。
その中でわたしたちは、人間本来のあるべき姿がわからなくなっています
ほとけのこころは無視されています。
だから、みんな不安なんです。不幸なんです。
物質的な豊かさは、ちっともわれわれを幸福にしてくれません。
常に他人を意識し、他人に対するねたみ・そねみのこころがありますから、みんな豊かになればなるほど、かえって自分が惨めになるといったおかしな現象になるのです。
あなたが観音さま、そしてわたしが観音さま、みんな観音さま、、、と知るために、わたしたちは観音霊場を巡礼します。
それが自分発見です。
本当の自分を発見するのです。
そうすれば、旅から帰って、わたしたちは再び日常生活に舞い戻らねばなりませんが、ほんの少し自分が変わっていることに気づくでしょう。 』

と。




1300年間、
時代は変わっても、厳しい戦争にも耐え
私たちをじっと見守ってくださっている観音様がいらっしゃいます。



総行程1,000kmに及ぶといわれる「西国三十三所」
どのお寺も険しい山道を歩きます。
今とは違い、昔の人たちはこの道をずっと歩いて巡ったのです。
こんな苦しい思いをしながらも、1300年も続く巡礼は
どうしてこんなにも人気があるんでしょうね

私を含めいろんな人達をこんなにも執着させ、魅力がある理由はなんでしょうか?


こんなことを考えてしまう私はまだまだですね😅




西国三十三所を一巡した人なんて世間ではたくさんいるのでなんの自慢にもなりませんが
満願は一つの区切りができたと思います。


いつのお参りでも、生かされていることに感謝してこれからも頑張っていこうと思います


こうしてお参り出来るのは幸せだと思いました。


感謝