宗安寺
御朱印
今回
徳川家康の家紋である「葵紋」
豊臣秀吉の家紋である「五七桐紋」
豊臣秀吉の家紋である「五七桐紋」
が、新しく押されていますね
珍しいです
前回
先日、テレビ番組の
『世界の何だコレミステリー』で紹介された
滋賀県彦根市の「宗安寺」
天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」で
徳川家康と戦った戦国武将・石田三成が
祈りを捧げたという千体仏と石田地蔵尊が
奉納された仏像が紹介されました。
1590年群馬の上野箕輪城の城主になった時、 正室・東梅院の両親の菩提を弔うために
荒廃していた安国寺を再興し
これが宗安寺の始まりといわれています。
石田三成の居城・佐和山城の大手門を移築したものと伝えられています。
「赤門(あかもん)」と呼ばれているんですよ。
朱色が目立ちます
修験道の開祖で、不思議な神通力をそなえられた奈良時代の行者
「役小角(えんのおづぬ)神変大菩薩」
が祀られています
本堂に行く前に展示コーナーがあります。
入ってすぐ
石田地蔵尊
念持仏、自分の救済を求めるために持ち歩いていました。
戦国武将が念持仏を持ち歩いていたのは、
戦いにおいて危機が訪れた時
仏様が身代わりになってくれるという
信仰があったからです。
秘宝「千体仏」
高さ1mの厨子の中に現存する数百体の黄金色に輝く高さ3cmの阿弥陀仏がぎっしり
(千体あるわけではありません)
石田三成はこの千体仏に
万民救済と極楽浄土への往生を祈ったのだそうです。
上の方にあり、
おもったより小さいです本堂内へ
江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したものです。
ご本尊は阿弥陀如来立像
この阿弥陀如来ですが、
慶長20年(1615)大阪夏の陣で徳川方の軍勢が大阪城に攻め入った際、
井伊家家臣 所藤内(ところとうない)が仏間より拝持したもので、
淀君の念持仏と思われる仏像らしいです。
淀君、きっと喜んでいるでしょーね💕
鎌倉時代の作だそうです